佐野理事長ブログ カーブ

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第767回 忙酔敬語 手宮富士

 幼少の頃から富士山と日の丸が好きでした。ですから絵を描くときのテーマは富士山が多く、添え物として日の丸が登場しました。生まれは小樽なので実際の富士山は見たことはありません。富士山の姿は心そそる物があります。全国でも富士の名で呼ばれる山は多く、北海道では利尻富士、羊蹄山は蝦夷富士とも呼ばれています。私が育った小樽の源町(現・清水町)から西の方をながめると円錐形の低山があり、手宮富士と呼ばれていました。小樽在住の人でも手宮富士を知る人はほとんどいません。坂道の多い小樽では高台に住んでいる人が多く、標高140mの手宮富士は目だつ存在ではありません。記憶を確かめるためにその付近の等高線を調べてみたら確かに円錐形を示す地形図が浮かび上がりました。しかしながら小樽のどの位置からも富士を思わせるような山は確認できません。私の生まれ育った源町からの眺めが特別だったみたいです。

 その手宮富士を眺めながら幼稚園に通っていました。幼稚園までの道のりは山坂でしたが15分くらいで着いたと記憶しています。いったん丘を下ってまた登った丘に幼稚園がありました。当時は治安も良かったのでほとんど一人で通っていました。ある日、幼稚園からの帰り、坂を下りそして家への坂を登っていたとき、「敬夫ちゃん」と呼びとめられました。父の会社の後輩の奥さんでした。「ハイ、これあげるね」と手渡されたのがピエロの指人形。午前中、幼稚園では指人形劇があり、それまでこんなに笑ったことがないほど笑いこけました。こんなタイムリーなプレゼントはいまだかってありません。喜んで家に持って帰りました。人形に指をつっこむと揮発性の臭いがしましたが、喜びを打ち消すものではありませんでした。しかし、一人芝居ではあれほどは盛りあがりませんでした。

 当時の幼稚園はふつう2年保育でしたが、父はボーッとしている私は授業?についていけないと判断して1年保育としました。そして幼稚園に行く前日に「いいか、先生の言うことをよく聞くんだぞ」とコワイ顔をして言いました。「先生」というのはお医者さんのことだと思っていたので、へえー、その他にも「先生」が存在するんだ、とビックリしました。父の予想は一部的中し、一部はずれました。的中したのは折り紙の時間でした。先生が「こうして半分に折ってね」と指導したとき、四角く折るときはOKでしたが、三角に折るのに難儀しました。隅っこを丁寧に折ろうとしているうちに次の段階に進んでいました。そのせいで幼稚園在中に折り鶴をマスターすることはできませんでした。

 父の予想がはずれたのはお絵かきでした。冒頭で述べたようにお絵かきは大好きで、祖母はクレヨンと紙をわたせば温和しくしているので世話のやけない子だよ、と言ってくれました。幼稚園当時はカエルにはまっていて、スイレンの葉に乗ったカエルの絵を描き上げました。すると幼稚園始まって以来の出来映えだと褒められて張り出されました。今思うにカエルの背中の模様を腹側に描いて間違っていましたが、それがシュールで良かったのかもしれません。

 秋になると父の転勤のため東京の幼稚園に転園となりました。東京といっても中野区の郊外でした。お受験のためひらがなで文章を書かされましたが、さすがについていけませんでした。泥棒が入ったらどうする?という質問に「どろぼうをつかまえる」と書こうとしましたが、「ど」が書けずに「ろ」に濁点を打ちました。災難の始まりでした。お受験の日は風邪をひいて棄権したので学力は不明。とりあえず災難はまぬがれました。