作家の車谷長吉さんは要注意人物とされた人です。そんな人物に朝日新聞は『悩みのるつぼ』という人生相談の回答者として依頼しました。その回答は相談者の救いにもならないような内容で、私は楽しみにしていました。なかでも「教え子の女子高校生が恋しい」(男性高校教師、40代)の回答は、朝日新聞が掲載をためらったほど過激でした。
回答:「恐れずに仕事も家庭も失ってみたら」
〈私は学校を出てからは最低の人生を歩んで来ました。会社は安月給なので、一日二食しか喰えませんでした。高利貸しから金を借りて、生まれて初めて貧乏を経験しました。総会屋の会社では金を大企業から脅し取りました。料理屋の下働きをしたころ、人の嫁はんに誘われ、姦通事件を三遍起こし、人生とは何か、金とは何か、ということがよくよく分かりました。あなたの場合、まだ人生が始まっていないのです。世の中の多くの人は、自分の生はこの世に誕生した時に始まった、と考えていますが、実はそうではありません。生が破綻した時に、はじめて人生が始まるのです。従って破綻なく一生を終える人は、せっかく人間に生まれてきながら、人生の本当の味わいを知らずに終わってしまいます。気の毒なことです。あなたは自分の生が破綻するのを恐れていらっしゃるのです。破綻して、職業も家庭も失った時、はじめて人間とは何かということが見えてくるのです。あなたは高校の教師だそうですが、好きになった女生徒と出来てしまえば、それでよいのです。そうすると、はじめて人間の生とは何かということが見え、この世の本当の姿が見えるのです。せっかく人間に生まれながら、人間とは何かということを知らずに、生が終わってしまうのは実に味気ないことです。そのような人間が世の中の九割です。世の人はみな私のことを阿呆だとあざ笑いました。でも、阿呆ほど気の楽なことはなく、人間とは何か、ということもよく見えるようになりました。阿呆になるのが一番良いのです。あなたは小利口な人です。〉
以上、かなりはしょって書きましたが、最後の「あなたは小利口な人です」は凄みがあります。相談者はどう思ったでしょうね。
長吉さんは慢性の蓄膿症があり、生まれてから鼻で呼吸をしたことがなかったそうです。のちに食べ物を喉に詰まらせて死亡しました。そんな長吉さんは44歳の時に、詩人の髙橋順子さんに激しい恋をして11編の絵手紙を送りました。あまりにも常軌を逸した内容に順子さんは返事のしようがありませんでした。小説家と詩人は同じ文芸家でも接点がないため、順子さんは長吉さんのことを知りませんでした。しかし、あるとき長吉さんの小説を読んで、その壮絶な内容と格調の高さに感嘆しました。同時にこんな文章を書く人が世に知られていないなんて、きっと相当厄介な人物なんだと予感しました。予感は的中しましたが、長吉さんの純真な人柄と文学的な力量に惹かれて、順子さんが49歳、長吉さんが48歳で結婚しました。詩人と小説家が同居するなんて二頭の虎が同居するようなもんだ、そもそもあんなアブナイ人物となんてもつわけがない、と周囲の誰もが思いましたが、その後、長吉さんが亡くなるまで順子さんは添いとげました。 『夫・車谷長吉』はそんな顛末を書いた本です。発売と同時に買いましたが暗い内容を予想して読めませんでした。最近ページをめくってみてユーモアあふれる内容に驚きました。講談社エッセイ賞まで取っていました。購入してから9年もたっていました。





