佐野理事長ブログ カーブ

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第741回 忙酔敬語 ここに来てから30年

 私が当院に赴任したのは1996年4月で、今年でちょうど30年になります。開院は6か月前の1995年9月1日で、私が来るまで郷久前理事長と相棒の和田の2人体制でした。はじめはどこの施設もそうですがヒマでヒマで、前任の2人はオーム真理教の実況中継で時間をつぶしていました。1996年の冬は今年以上の大雪で私が来たときは駐車場には雪が残っていました。私が赴任したときもまだヒマで患者さんが受診するたびに外来から呼び出しがかかりました。途切れなしに診療するのはいつの日か?と思っていましたが、それから半年もしないうちに途切れることはなくなり、お産もうなぎ登りとなりました。同時に婦人科の手術件数も増加しました。イケイケの時代に突入です。

 屯田は不思議なスポットで都心からそう離れていないのにポカッと人口密度が薄いところです。当院をどこに建てるか?と相談したとき候補地は4か所ありました。創成川付近の角地、現在ロピアのある所、北洋銀行屯田店が移転する前の付近、それと今の場所です。角地は落ち着かないし、ロピアのある所は奥まっているし、北洋銀行のあった付近は場所代が高い、それにひきかえ今の場所は落ちついた雰囲気でした。まあ、風水が良いという感じでした。当初、当院の近くの店は道路をへだててセーコーマートが1軒だけでしたが、その後はスーパーやジョイフル、ヤマダ電機があらわれて屯田一の賑わいのある場所となりました。東屯田通りと新道はつながっていませんでしたがまもなく開通し、風水はさらに良くなりました。これで東区からの患者さんが増えました。時代はすでに少子化の兆しはありましたが、この辺は児童の数が増えたため新しい小中学校が建ちました。

 我々は体力にユトリがあったため、月曜から金曜までは夜の7時まで、土曜はもちろん日曜も午前中の外来を開いていました。休みは祝日とお盆、それに年末年始の6日間だけでした。現在では当たり前な週休2日制なんてそれまでの基幹病院では行っていなかったので私はとうとう働きづめで現在に至っています。ただし基幹病院ではお盆休みはないので、はじめは何という田舎に来てしまったのだろう、と呆れました。事情を訊くと外来のスタッフは家庭の事情でお盆は勤務できないことが分かりました。あたらめて世間を見るとお盆休暇は常識でした。そう言えば子供の時分、夏休みのお盆には父も休みをとって本家のお墓参りに行ったものでした。 

 あんなに忙しかったのに子供たちは小さいので毎年、休みをとって韓国、ハワイ、ヨーロッパと海外旅行をしました。ミラノへ行ったときは中学2年の長女に「イタリア語はお父さんのかかりだからね」と言われ、ボンジョルノ、ミキアノ・サノ、ソノディ・サッポロ、コメスタイ、ベーネ、グラッツェ、ボレイ・マンジャーレ・ウナピッザ、ボーノ、などと連発したらそれなりに通じ、長女は「会話になってるじゃん!」と目を丸くしました。

 現在、娘たちは2人とも結婚して孫が3人います。当院は郷久前理事長の長男、晴朗院長が取り仕切っています。私は理事長で「老兵は死なずただ去るのみ」に憧れていましたがあと10年以上は頑張るつもりです。体力はさすがに衰えていますが感性はますます若くいまだに新しい発見があり、心身医学・東洋医学関係で年に7、8回発表しています。妻は「旅行はどこに行きたい?」と問いますが6時間以上のフライトに耐える自信はありません。それに対して郷久先生は昨年ドイツでの国際学会に片道14時間のフライトに耐え無事にもどってきました。私はご近所ブラブラと界隈旅行にあまんじています。