あれほどもてはやされていたカンガルーケアの危険性が取りざたされています。象徴的な事件は、ある大学病院で産まれた赤ちゃんが、脳障害になった事例です。
カンガルーケアはアメリカ中南米のコロンビアから始まりました。未熟児の赤ちゃんは低体温に弱く保育器で温める必要があります。しかし、医療機器が不足している地域にはそんな物はない。そこで苦肉の策として、お母さんに抱っこしてもらったところ、予想以上に経過は良好で、ついでにふつうの赤ちゃんも抱っこさせたらこれまた調子が良い。そんな報告が世界中に広まって各国でカンガルーケアが行われるようになりました。
そもそもカンガルーケアは保育器の不足に対する苦肉の策でした。すなわち母親が保育器代わりになったのです。
保育器もピンキリで性能の良い製品もあれば、温度調節などいいかげんで信用ならないしろものもあります。ハイテクの保育器には赤ちゃんの状態が悪くなればアラームが鳴るシステムが附いています。こう言っちゃあ身もふたもありませんが、赤ちゃんを抱っこするお母さんも赤ちゃんの状態をたちどころに察知できる人もいれば、赤ちゃんを抱っこしたことはもちろん、触ったこともない人まで様々です。
赤ちゃんを抱っこしたことのないお母さんに、産まれたばかりの赤ちゃんを抱っこさせて、「何かあったら知らせてください」と言ってそばを離れるのは酷というものです。新米のお母さんは、その「何か」が分からないからです。分からないから赤ちゃんに異変が生じても知らせようがありません。抱っこした赤ちゃんの状態を管理するためにアラームを装着させようという考えもありますが、生き物としてそんなんで良いのかと何だか情けなくなります。
近年、少子化の影響で赤ちゃんを見たことも抱っこしたこともない女性が増えています。そんな女性がいきなりお母さんになっても途方にくれるのは当たり前です。ただ男性と違って、お腹の中で赤ちゃんが動いたりして心身ともに母親になる準備は徐々に形成されていきます。妊娠中に母性が形成されたからと言っても、お産を終えて赤ちゃんに会うのは衝撃的です。それを乗り越えると母性はさらに上の段階へと形成されていきます。
イヌやネコの段階での哺乳類は、産前教育がなくても本能的に赤ちゃんの世話をする能力が備わっています。赤ちゃんが生まれると我が子をなめ回し、胎盤は食べてしまいます。それに対してわれらが類人猿は子育ての現場を見て学習していなければ育児ができません。動物園のチンパンジーやオランウータンなどは、その母親や先輩達の子育てを見たことのないケースでは飼育員の援助が必要になるそうです。
赤ちゃんの世話をした経験が豊富な女性は、赤ちゃん語が分かります。赤ちゃん語と言っても赤ちゃんがそんなに難しいことを言うわけではありません。オムツが濡れて気持ち悪い、眠たい、お腹がすいた、放っておかないで、など数パターンだけです。とくに「放っておかないで」は重要です。自然の環境で自立できない我が子を放っている高等動物(どれ以上を高等と判断するかは論議がありますが)はほとんどありません。
カンガルーケアはお母さんが高性能の保育器であることが前提です。でも、あせることはありません。抱っこしているうちに自然に赤ちゃん語をマスターして誰でも優秀な保育器になれます。赤ちゃんにとっても保育器よりもお母さんの方が良いに決まっています。
第236回 忙酔敬語 カンガルーケアの問題点