NHKスペシャルで、ペルーのアマゾンの奥地に暮らすイゾラドの人々が紹介されました。文明から逃れて森深くに入った人たちです。同じアマゾンでもブラジルの奥地のピタハンは、まったく文明から隔絶されていて、ピタハン語という独特な言語で会話していますが、イゾラドは現在の文明社会に住んでいる先住民と基本的に同じ民族なので、保護区の文明人と何とか会話することができます。その点、タイ・ラオスの山岳地帯に住むムラブリに似た存在です。ムラブリも昔は農業を営んでいましたが、そこでは暮らせない事情が生じて山奥に逃げ込んだのです。
イゾラドもピタハンもムラブリも、ITに染まっていない本来の人類のあるべき生活を送っていると私は考えていました。今回の番組でその様子がかいま見られると期待していました。本来の人類のあるべき生活とは住居、狩猟などの食物採取、その他もろもろすべてを自らの手で得るということです。すべて自分で行うということは、実は大変なことです。それこそ脳をフル回転しなければなりません。
自分の能力で生活するべく、人類の脳は30万年前に完成されました。現代の人類の脳は、すべて自分の力で生活してはいないため、大昔と較べて小さくなってしまいました。「コンピューターを使ったりしていろいろ考えごとをしているではないか?」と疑問に思われるかもしれませんが、考えごとには大きな脳は必要ありません。脳の大部分は運動をコントロールするためにあります。
現在、コンピューターは囲碁将棋のプロを上回る能力を発揮していますが、実際の勝負で、「さあ、君の番ですよ」と言われても何もできません。碁石や駒を並べるという動作ができないからです。ロボット工学の専門家によると、子供が転びかけて立て直すろいう動作はかなり高度なことで、これをロボットにさせるのは今のところ無理とのことです。
要するにコンピューターVS囲碁将棋のプロは、コンピューターを補助する人間がついていないとダメなのです。
現在、私たちの生活はいろいろ便利になりましたが、手仕事が減り、それに応じて必要のない脳の部分は省かれてきました。10万年前の化石人類の脳とくらべ現代人の脳は退化しているのです。これは人間にかぎったことではありません。飼育されているブタと野生のイノシシは同種ですが、餌を探す必要のないブタの脳はイノシシと較べて脳の溝が少ないそうです。コアラも食物が他の動物が食べないユーカリに特化しているため、脳は小さくなり頭蓋骨との間にすき間ができてしまいました。
さて、イゾラドを紹介する番組で、精悍でたくましい人々が登場するのではないか、と期待に胸を膨らませて観ました。残念ながらジャングルから出てきた男女は単なる文明社会からの逃亡者のようで、覇気も知性も感じ取られませんでした。しかも食料がなくなると保護区を管轄する元同類の先住民を毒矢で襲う可能性のある物騒な存在になっていました。それより唖然としたのは、管轄官の年端もいかない子供たちがジャングルのかたすみでテレビゲームに興じている姿でした。私は地下鉄の中でスマホを見ている人たちを睥睨(へいげい)していますが、ここに至ってもうダメだ!と空しさを感じてしまいました。昔、テレビが普及したとき、辛口評論家の大宅壮一が「一億総白痴化」と警鐘を鳴らしましたが、いまやアマゾンまで毒された文明が進んでいるようです。まさにギブアップです。





