40年前、札幌医大にいたとき、郷久先生は国際的な活動に野望を抱いていました。そこで英会話の能力を高めるべく、英会話の勉強会を企画しました。講師として招いたのはジョイスというユダヤ系のアメリカ人女性でした。アメリカ人としては小柄ですがブロンドの髪がきれいなべっぴんさんでした。集まったのは郷久門下の心身医学を研究する若い医師と、その他の希望者で5、6人くらいでした。
ジョイスは日本語も達者で、北大の獣医学部などから依頼された英語論文もチェックしていました。北大の獣医学部は優秀で、ほとんど訂正はないとのことでした。それにひきかえ、我々の英語はガバガバの状態でした。
今から考えると、語学教育はその母国の真髄に迫らなければなりません。日本語を話す人間と英語で話すの人間は、精神構造が微妙に異なっています。ジョイスは、はじめお互いに呼ぶときはファーストネームにしましょうと言いましたが、精神構造がかたまったままの我々はついていけず、結局、ジョイスも見限って、「ドクター・サノ」とか「ドクター・サトヒサ」と言うようになりました。
9年前のアメリカ大統領の選挙戦で、ヒラリー・クリントン候補がドナルド・トランプ候補に「ねえ、ドナルド」と話しかけるのを聞いて、そんなに親しいわけではないのに英語圏ではそんな言い方をするんだと、あらためて再認識しました。
会話は基本すべて英語でなされました。私が黒澤監督の『影武者』を観たと言ったら、それを英語で解説するように言われました。戦国時代の大名を何と呼べばよいのか?私はとっさにプリンスと表現しました。この選択は正しかったようで、10分間以上の解説をジョイスは喜んで聞いてくれました。そのときが私の生涯で英会話の絶頂期でした。しかし、表現するのはなんとかできましたが、ヒアリングはダメでした。
ユダヤ人の習いか、ジョイスはことあるごとにお金の話をしました。お金を稼ぐ人は偉いという評価には、清貧を尊ぶ?私はちょっと抵抗を覚えました。しかし、古代に祖国イスラエルを追われたユダヤ人には自分たちを守る手段は経済力しかないんだなと理解しようとはしました。
ジョイスはユダヤ教の教義にしたがって安息日を重視していましたが、我々がカナダのモントリオールで初デビューしたとき、遅れてできたスライドのチェックのため安息日にわざわざ来てくれました。お金ばかりじゃなくて本当は優しいのでした。
ジョイスは3人目のお産を札幌医大でしました。3人目にしてはつらそうでしたが、赤ちゃんが生まれた瞬間、私のホッペに熱烈なキスをしてくれました。日本人から受ける軽いキスとの違いが印象的でした。
ユダヤ人は世界中で活躍しています。そして優秀な人材を輩出しています。それらの人々はジョイスのように理屈っぽいので嫌われることが多々あります。鶴見太郎著『ユダヤ人の歴史』を読んで、なぜ理屈っぽいのか分かりました。多くの宗教の信者はその教義についてそれほど詳しく知りませんが、ユダヤ人はユダヤ教の教義について子供のときからたたき込まれるようです。それで脳が鍛えられて、ノーベル賞を取ったり、有名な心理学者を輩出したり、ピアニストの巨匠も現れました。欧米人でこれはという人物を検索するとしばしばユダヤ系と書かれています。ジョイスもその一人だったのです。