自然人類学者の長谷川眞理子先生は、SNSが普及してから、複雑な思春期の子供たちに悪影響が出ていると警鐘を鳴らしています。〈私は人間の進化が、今の自分たちの「脳みそ」に対応できない領域に踏み込んでしまったと考えています。人間の脳は本来、自らの体を使った現実のものにしか対応できない。こんな小さな端末が脳の働きを代行する中で、何が現実で何を信じればいいのか、生きるとはどういうことなんだろうと訳が分からなくなってしまいそうです。人類20万年の歴史で、この20年ほどの情報技術による変化がいかに急激かを認識する必要があります。〉(讀賣新聞「時代の証言者」)
長谷川先生と同い年の私は、はじめは「そうだそうだ、そのとおり!」と思って読んでいましたが、「ちょっと待てよ、現代人は20年より前から、とっくに脳の限界を越えたことをしてきたのではないだろうか?」と気づきました。
個人的ではありますがまずは車の問題。2か月前、マンションの地下の駐車場にバックで入ったとき、となりの車が留守だったので、いい気分で侵入したら、ガシャン!とイヤな音がして車のバックの窓ガラスが粉々になっていました。私の脳は車の動きを制御できなかったのです。これまで5年くらいの周期でかすり傷などつけてきましたが、この事件をもってハンドルを握ることから解放されました。要するに運転するなということです。もともと通勤は徒歩ですが、徒歩での事故は冬場に凍結した道路で転倒するくらいで、車の事故みたいに生死に関わるようなエネルギーとは無縁なので何とかなっています。
人類は20万年前には脳をどう活用していたのでしょう? 文字はないので声の届く範囲で仲間と連絡を取りながら共同生活をしていました。狩猟や食べられる植物などの採取が生活の糧でした。そのために体をはった生活をしていました。本来、脳は何のためにあるかというと体を制御するためです。「考えるため」と思われるかもしれませんが、考えるほうに使うエネルギーはほんの少しです。
ホヤという脊索動物がいます。脊索動物は脊椎動物を含む「門」で、われわれ脊椎動物はその下位である「亜門」です。ホヤは幼生のときは餌をもとめて泳ぎ回ります。そして餌が豊富に取れる場所にたどり着くとそこに根づきます。根づくと運動する必要はなくなるのでコストのかかる脳は吸収されてしまいます。脳の無い動物になったのです。
高校の生物の実習でイカの解剖をしていたときのこと。眼の奥にある神経をたどっていったらある塊にたどり着きました。脳です。イカやタコは活発で複雑な運動をしているので脊椎動物以外では一番大きな脳を持っています。
文字や数字を使うと脳をフルに働かせていると思われるかもしれませんが、これらは複雑な生活をはしょる行為です。勉強して文字や数字を自由にあやつるのは本来の人間の生き方ではありません。その証拠に1000年以上前の人類の脳を調べるとほとんど現代人のよりも大きいそうです。脳の複雑な運動をつかさどる部分は必要がなくなったのです。
SNSは今さらやめろと言っても無理です。人間は易きに流れます。いずれ制御する方法も出てくるでしょう。本を読めというのもよけいなお世話です。私が気に入っていた番組にテレビ東京系の『しょせん他人事(ひとごと)ですから』がありました。中島健人さん演ずる一見チャライ弁護士がSNSによる炎上をユトリで解決します。今後、萎縮した脳でいかに安全な生活を送れるように工夫すればよいと思います。