佐野理事長ブログ カーブ

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第654回 忙酔敬語 里山は感性の栄養

 写真家の今森光彦さんがNHKの首藤奈知子キャスターのインタビューで言った言葉です。今森さんは滋賀県の一角に理想的な里山を作りましたが里山を維持するのは大変なようです。ほうっておくと竹藪になってしまいます。私はそれでもいいと思うけど・・・。

 里山とは人里と自然のはざかい地です。スズメなど人里や里山でしか生きられない鳥も少なくありません。柿も日本の伝統的な果物と思われていますが、どうも大陸から伝わった外来種のようです。その証拠に野生の木と思われる柿でも山のど真ん中では見られず、ほとんど里山で観察されます。

 以前、BSプレミアムで『ニッポンの里山』という番組が放映されていました。10分ほどの地味な番組でしたが、私は大のファンでした。「日本の里山は文化遺産にすべきだ!」と思いつめたほどでした。しかし、ネタがつきたのか、この5年ほど放映されていません。ネタがつきたとすれば、ニッポンの里山はあれしかなかったのか?と危惧を覚えます。

 私は小樽生まれで、幼稚園のときまで父の会社の住宅地で遊んでいました。本州と違って田畑は少なかったのですが、土手や裏山には野草が豊富で、そのなかにはグズベリーも自生していました。私はガキのくせに甘い物が苦手で熟したグズベリーよりも青くて酸っぱい未熟のグズベリーが好きでした。サクランボも甘ったるく熟した実よりも未熟のうちに摘んで食べていました。『ダーウィンが来た!』で熟した果実を食べると体調を壊すサルについて紹介されたことがありますが、当時の私はそのサルみたいだったようです。

 幼稚園児のうちに東京都中野区に引っ越しましたが、ドラえもんの世界のような空き地があって、住宅地も畑に囲まれていて里山の面影がありました。夏になると庭中から虫の声の大音響で眠りを妨げられました。現在の新宿のど真ん中でも夜には樹木の中からけっこうな音量の虫の鳴き声が聞こえます。北海道は自然が豊かだと言われていますが、昆虫をはじめ多くの生き物にとって温暖な東京の方が本当は住みよいのではないかと思います。隙あらば押し寄せてきそうです。この「隙」を生態学ではニッチと言います。

 私にとっての里山の原風景は父が生まれ育った山梨県南部町内船です。内船は甲府市と静岡県富士市を結ぶ身延線の真ん中にある駅で、その駅から歩いて5分もしないところに本家があります。私が東京にいたときは毎年墓参りに行きました。そこは小山に囲まれていて、東京からでも見られる富士山が小山群にさえぎられて見えませんでした。平地が狭いので街や住宅地の拡張のしようがなく、今でも里山のままです。

 次女の嫁ぎ先は町田で、家も町田に近い川崎市の一角にあります。町田には山も田畑も都会もあり、まさに里山です。毎年、3月に品川で東洋心身医学研究会が開催され、私は演題をたずさえて参加しています。研究会が終わると次女の家に行って孫に会い、ついでに招かれてもいないのに嫁ぎ先の町田の実家に挨拶に行きます。家内は「迷惑に決まっているからやめなさい」と言いますが、とにかく里山が好きなのでやめられません。

 さて、現在、私は新琴似の自宅と屯田の職場を徒歩で通勤しています。人通りが少ない時間帯は、鳥も鳴き虫も鳴きで里山といってもよい雰囲気です。この雰囲気を堪能したくて毎朝5時過ぎに自宅を出発します。到着までの50分ばかりで俳句をひねり出します。夏井先生に添削されれば、季語は生きていないし川柳みたいのはあるしで、せいぜい凡人でしょう。でも『青い鳥』みたいにあこがれの里山は足もとにもあったのでした。