『今昔物語集』に載っているお話しです。読み下し文にすると「女、医師の家に行きて瘡(出来物)を治して逃げたる語(はなし)」ということになります。
『今昔物語集』は古今東西の仏教のありがたい話からへんてこりんな話まで幅広く集めた全集みたいな書物です。仏教の話にもへんてこりんな話が混じっていて、それはそれで面白いのですが、今回紹介するのは平安時代に本当にあった?へんてこりんな話です。
古代から人々は病魔とたたかってきました。とくにある程度の密度で人が集まると、伝染病はまたたく間にひろがりまさにパニックとなりました。今みたいに有効な治療法がないので加持祈祷が頼りでした。安倍晴明がその代表格ですが、仏教も頼りにされていました。まさに藁(ワラ)にでもすがる思いだったようです。
しかし外科的な処置は医師の腕がものをいいました。古くは因幡の白ウサギです。優しい大黒様が傷ついたウサギにきれいな水で洗ってガマの穂にくるまるように教えます。これは現在でも創傷の基本的なあつかいとして通用します。
さて、物語に登場する女は三十くらいの色白で髪が長く良い香りを漂わせ、どこの貴婦人か?と思わせる人物です。かたや医師は都でもトップクラスの御典医で、3、4年前に妻と死に別れ、歯は抜けてシワだらけですが、いまだに色香に惑う年寄りです。
女は牛車で医師の家に訪れます。ワケあり風な感じなのですが老医はウキウキします。そして請われるままに奥の部屋に案内します。そこで女はさめざめと泣きながら語ります。
「あさましいもので命惜しさのために恥ずかしい思いをすることになりました」
老医がどういうことか?と問うと、女は着物の裾をたくし上げて患部を見せました。陰毛をかき分けて見ると陰部に大きな出来物がありました。
「よし、ワシが治して進ぜよう!」
老医は張りきって弟子を寄りつけずに一人きりで女の治療をしました。そのかいあって出来物は7日目にして治りました。老医はこれからはあの女と仲良しになろうとみずから食事を整えて女の部屋に入りました。しかし部屋には誰もいませんでした。
治療を終えた女は逃げたのです。治療費も払わずに・・・。ただし当時はまだ金銭の流通は一般的ではなく、どのような形態で治療費が払われたかは不明です。
老医は大いに取り乱しながら悔しがり、弟子たちは陰で大笑いしました。結局、女の正体は分かりませんでした。物語では賢い女だったと締めくくっています。
外陰部の膿瘍は現代ではよく見かける疾患です。患者さんに説明するときは「下着などがすれて傷つき、そこからバイ菌が入ったんですよ。スッポンポンだったらなりません」と言うのですが、昔は着物の下はスッポンポンなので、かなり珍しかったのかもしれません。それで物語に掲載されたのでしょうね。
治療法は切開して排膿して抗菌薬を処方するのが一般的です。私はむやみに抗菌薬を処方するのはイヤなので排膿散及湯という漢方薬を処方します。なぜ抗菌薬を嫌うのかというと腸内や腟内の善玉菌までやっつけて体調をくずすことがあるからです。
排膿散及湯は江戸時代の日本で作られた漢方薬ですから平安時代にはまだ存在しませんでした。老医ははじめに切開して、それから清潔な水で小まめに創部を洗って治療したのでしょう。逃げた女は全身状態は良かったようなので、それで十分だったと思います。