昔、サザエさんの漫画で、立派な紳士が二人、路上で口ゲンカしているシーンがありました。そこへ片方の紳士の小柄で気の強そうなお母さん(まっ、お婆さんです)が息子のために割って入りました。相手の紳士は「子どものケンカに親が出る~♪」と言いながら立ち去りました。残された紳士は母親に「母ちゃん、だからオレのケンカには口をはさむなって言ってたのに・・・」と涙を流さんばかりに悔しがり、お母さんはションボリとさらに小さくなりました。最近でも子どものケンカに親が出るケースは絶えることがありません。そこで思い出したのが水木しげる著『のんのんばあとオレ』(筑摩文庫)でした。
水木さんは鳥取県の、神話と妖怪の聖地である島根県との県境に生まれ、女中の「のんのんばあ」にタップリと妖怪の話を吹き込まれながら育ちました。
勉強はダメでしたが、ガキ大将を中心とした戦争に明けくれ、非常に多忙な幼年時代を送り、そのときの体験が『ゲゲゲの鬼太郎』、『カッパの三平』、『悪魔くん』など古典と言ってもよい漫画を生み出しました。とくに『カッパの三平』は、異色の哲学者・鶴見俊輔氏が自身の読書歴で第一と押していました。私も読んでみましたが、正直に言うとどこが良いのかよく分かりませんでした。『ゲゲゲの鬼太郎』については、初期の『墓場の鬼太郎』の方が不気味でダークサイドの雰囲気が漂っていて好きでした。
ガキ大将戦争では赤ちゃんの頭くらいの石が飛び交い、それを防ぐために石油缶を被って応戦して勝利をおさめました。学校の先生や親にちくったら、即、仲間はずれになりました。ようするにガキの独立国が並立していたのでした。
ガキ大将はケンカが強いだけではダメです。手下どもに楽しい催し物を提供し続けなければ手下は離れて行きます。後年、水木さんは「水木プロダクション」で多くのスタッフに手伝ってもらいながら多くの作品を書きました。若い頃、食うや食わずだったため、オファーが来たらすべて引き受けました。そのため多くの若手が集まりました。なかにはすでに名が知れわたっているつげ義春さんもいました。つげさんはあくまでもマイペースでほとんど何も手伝うことなく去って行きました。
水木さんは戦時中、ラバウルで左手を失いましたが、ものともせずに生き残りました。戦時中の思い出は『総員、玉砕せよ!』に書かれ、NHKスペシャルで放映されました。水木さん役は香川照之さん。香川さんは水木さんの手記を読み込んでいて鬼気迫る演技をしていました。水木さんは戦争が終わっても現地人とのノンビリした生活が気に入って、「日本に帰りたくない」と言って上官を困らせました。
水木さんの初恋は6歳のときで、相手は同い年の松ちゃんでした。あるとき松ちゃんに連れられて小屋に入ると、松ちゃんは着物の裾をはだけて見せました。そこには見たことがないものがあり、しげる少年はビックリして、あわてて自分のものも見せました。イザナギ・イザラギをホウフツさせるような大らかなエピソードです。かわいそうに松ちゃんはそれから2年後に風邪をこじらせて亡くなりました。水木さんの手記にはその他にも幼くしてして死んだ子が何人も登場します。
私も子どもの頃、風邪の熱が引かないと、お医者さんはちょっと考えてからペニシリンをお尻に打ちました。その一発でほとんど快復しました。逆に言えば何度も死にぎわに遭遇したということになります。やばかったなあ・・・・。