どんな偉い人物でも年月がたてばその業績は忘れ去られるものです。南方熊楠は例外で10年おきくらいにブームが訪れます。業績があまりにも多方面に渡っているため100年くらいでは後の研究者でも消化しきれないのです。最近では朝ドラ『らんまん』の終盤で、神社合祀反対運動の発端になったため名前だけが登場しました。キャスティングは誰だろうか?と興味を抱きましたが本人は登場しませんでした。あまりにもキャラが濃いので、登場したらドラマがぶち壊しになったかもしれません。
私が熊楠の名前を知ったのは高校生のときでした。学研の学習雑誌に外国では高く評価されているのに日本人が知らないのは恥ずかしいことだ、みたいに書かれていました。何でも10カ国語以上の言語を理解して、世界の粘菌植物の90%を発見し、その他もろもろの博物学にも通じて、イギリスの学会誌「ネイチャー」への投稿数は51編で歴代ダントツの1位とのこと。「ネイチャー」は1編でも掲載されれば日本ではノーベル賞級と大騒ぎされるほど権威ある学会誌です。あの「STAP細胞はあります」と言った小保方晴子さんが投稿したのも「ネイチャー」でした。
医学部に入って間もなく熊楠の『履歴書』が出版されました。ふつう履歴書というと何年何月にどこそこの大学を卒業して、その後の留学先、主な業績などせいぜい2、3ページですが、熊楠の『履歴書』は1冊の本になっていました。幼少期からの神童で、小学生になるころ近所の人が『太平記』を所有していることを知り、その家で『太平記』を読んでは覚え、自分の家に帰って書きつけ、数か月で書き写してしまったことなどから始まります。私からすれば『太平記』などつまらない史書で、そんなに魅力があるのかなあ、と呆れましたが、最近、出版された志村真幸著『未完の天才 南方熊楠』によると『太平記』ではなく、『和漢三才図鑑』という百科事典みたいな本だと判明しました。私の記憶違いみたいです。さらに本をまるまる暗記してから書いたというのは伝説で、実際は借りた本を書き写したというのが真相のようです。本人も多少もって書いたみたいです。
熊楠には学術的な論文を書いても、いつの間にか下ネタがまぎれ込むいう奇癖があります。海綿動物について解説した際、話は落ちに落ちました。
〈海綿は軟らかそうに見えるが、体内に骨片を有しているためうかつに握ると切られ与三郎みたいになる。淡水の海綿は小さくて骨片も繊細で傷つけはしないがやはりチクリとする。痛みは軽くなると痒みとして感じる。したがって淡水の海綿をすりつぶして女性の性器に塗布すると痒がることになる。その状態で性行為をすると女性は非常に喜ぶ〉
熊楠が発表した論文のほとんどは東洋の文化・民族・博物学などの紹介でした。当時の大英帝国はビクトリア朝で史上最大の領地を有し、東洋をはじめ世界中を治めていたので、英文による東洋の情報は非常に重宝がられました。ですから熊楠の名は欧米に知れわたっのです。テーマが東洋の文化・博物学では日本人が気にもとめなかったのは当たり前です。その後、「ネイチャー」は自然科学専門誌となり、博物学は掲載されなくなりました。
しかしながら生物学の分野でも熊楠は知る人ぞ知る存在で、昭和天皇が若かりし頃、ご進講を行いました。陛下は熊楠の飾らない人柄を愛し、33年後にお歌を詠まれました。
雨にけふる神島を見て紀伊の国の生みし南方熊楠を思ふ