佐野理事長ブログ カーブ

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第172回 忙酔敬語 人道的兵器

首相官邸にドローンが落ちた事件。やはりこんなことが起きるようになったか、と思いました。いずれドローンは兵器として使用されるのではないかと危惧しています。自分は危ない思いをしないで相手を殺傷することができます。使用する側の心理はゲーム感覚となるでしょう。すえ恐ろしいことです。
それからまもなくして日米首脳会議で「核兵器は破壊的で非人道的」であると合意されました。つねづね「人道的兵器」なんて存在するのかね、と考えていたら、翌日の朝日新聞の川柳欄に「それからは人道的に殺し合い」という川柳が載っていました。川柳としては今一の出来で、一等賞の○印は附いていませんでしたが、オレと同じような思いをしている人がいるんだな、とチョッピリ嬉しくなりました。
いわゆる非人道的兵器には2種類あると思います。核兵器や化学兵器などの無差別大量破壊兵器、それに人の痛みを感じない兵器です。人の痛みを感じない兵器とは、自分が今生きている人間を殺しているんだと自覚できないような兵器です。ドローン兵器は人の痛みを感じない兵器の一つとなるでしょう。
実際のところ現在使用されている兵器のほとんどは人の痛みを感じない兵器です。
クリント・イーストウッド監督の『アメリカンスパイナー』。主人公はテロ行為をするかもしれない子どもにスコープでねらいをつけ、「頼むから手を引いてくれ」と祈りますが、この辺がギリギリですね。その他の敵に対しては照準に合わせて引き金を引くだけ。敵は面白いように斃れます。私はクリント・イーストウッドのファンですが、この映画には正直ガッカリしました。いつも監督がかもし出しているヒューマニズムがまったく感じられないからです。『グラン・トリノ』、『ミリオンダラー・ベイビー』、『硫黄島からの手紙』など死と向き合った作品ですが、すべて弱者に対する温かい眼差しがありました。しかし、『アメリカンスパイナー』は突き放した感じでカラッカラ。クリント・イーストウッドももう年だな、そしてアメリカ合衆国自体が末期状態なのかも、と思いました。
銃が人道的兵器かどうかについて別な映画でも検討してみます。名画『レオン』で寒々としたシーンがありました。ジャン・レノ演ずる殺し屋が幼いマチルダ(ナタリー・ポートマン)に狙撃の方法を教えます。弾丸は殺傷力のない練習用ですが、ビルの上から遠くの人にスコープで狙いをつけ引き金を引くと、命中した本人は何が起きたんだろうとキョトンとし、マチルダはキャッキャと喜びます。こりゃダメだ。人の痛みが分からない。
私の考える正しい戦争のやり方はこうです。まず内燃機関の禁止。要するに軍隊の移動に車両や飛行機などは使用しないで徒歩か馬などの動物を利用するのです。船舶は手こぎか帆船。武器は槍や刀で弓矢までOK。まあ、オリンピックで採用されている競技といえば良いでしょう。あっ、射撃もオリンピック競技でした。オリンピックもけして平和の祭典ではありませんね。そして火の禁止。火を利用すると大量破壊的な被害をおよぼします。「三国志」では、諸葛孔明が異民族との戦いで鎧に油を染みこませた敵に火を放って壊滅的な打撃を与え、その恐ろしさに孔明は泣いて悔いたと伝えられています。目の前の敵と戦うことで人は命の尊さを感じ、また武道の選手のように礼というものを学ぶはずです。
こうした戦争で、もし銃などの非人道的兵器を使用した場合は、ルール違反で即敗戦宣告を受ける。さて、この監視機関をどのようにするか? それが問題です。