佐野理事長ブログ カーブ

Close

第595回 忙酔敬語 発達障害と多様性

 最近、やたらに多様性という言葉を耳にしますが、多様性の何が大事なのでしょうか?

進化論でおなじみのダーウィンの説が基本となっているようです。気候の変化など環境が変化すれば、それに適応した個体が生きのこります。みな同じなら全滅です。

 全滅で有名な例として、19世紀のアイルランドで100万人の犠牲者が出たジャガイモ飢餓があります。原因はジャガイモの疫病でした。多種栽培していれば被害は少なかった可能性がありますが、1種のみだったためジャガイモは全滅し、それに依存していた多くの人々が餓死しました。新川にある我が市民農園でさえ4種類くらい栽培してます。

 進化というと何か偉くなって行くような印象を受けますが、何のことはない、たんなる生きのこりです。5億年前のカンブリア紀に現在の動物のもととなる生物が出そろいました。その後、5回の大絶滅でリセットして現在にいたっています。直近の大絶滅は恐竜を滅ぼした6600万年前の巨大隕石によるものです。直径10㎞以上の巨大隕石が現在のカリブ海あたりに衝突しましたが、最近、その一発では恐竜全てが絶滅しなかったのでないかという疑問がわいています。その根拠の一つとして、隕石が衝突した直後の化石が予想に反して大量には見つかっていないということです。その後、30万年後にインド洋に落ちた小さめな巨大隕石がとどめになったという説も現れました。

 われわれ人類をふくむ現在の動物と恐竜の完成度をくらべると、あそこまでデッカクなれた恐竜の方に部があると私は思います。しかも恐竜の時代は1億年以上もあり、それこそ多種多様でした。有名なジュラ紀と白亜紀では恐竜も大きく様変わりしますが、原因はジュラ紀末に出現した花咲く被子植物のためです。被子植物は、それまでの草食恐竜が糧としていたシダ植物や裸子植物の葉っぱよりも固かったため、歯が丈夫なトリケラトプスやイグアノドンなどの時代になったのでした。

 ここで待った!恐竜の話になるとつい夢中になってしまいました。多様性は同じ種の中にあっても重要です。人類20万年と言われていますが、はじめの19万年間は何の進歩もありません。1万年前に農業が発見されて人口が増えはじめました。農業を発見したヤツはきっと変わり者、すなわち発達障害でした。その後、文字を工夫した変わり者のおかげで技術のノウハウが記録可能となり文明がきづかれました。古代ギリシャや古代中国では多くの変わり者が出現して文化・文明の花が開きました。当時の人たちの知恵と現代人の知恵を比べると、古代人の方はるかにふところが深かったような気がします。その後、周辺の民族も文化・文明をとり入れて繁栄しましたが、文化・文明は、それぞれの民族の受け入れ体制が必要で、いまだに取り残されている人たちがいるのも事実です。

 その後の急激な変化は、数学や物理、天文学にハマッた理系の変わり者によってなされました。コペルニクス、ガリレオ、ニュートンたちです。その成果を発揮したのがイギリスの産業革命で、イギリスはほぼ全世界を征服しました。さらにアインシュタインやファインマンなどのユダヤ系の物理学者によって現在のITの礎ができあがりました。

 ユダヤ系の人々には変わり者、すなわち発達障害が多いようです。ファインマンは中学生の時、授業中大騒ぎをして教師を困らせましたが、カンの良い数学の先生が高等数学の教科書を貸し与えておとなしくさせました。もちろん変わり者のすべてが成功者になるわけではありませんが、ふところの深い多様性に寛容な社会であることを願っています。