高次医療施設で子宮がんの初期と診断された女性が相談に来ました。いわゆるセカンドオピニオンですが、ふつうは当院レベルの診療所から大学病院などの高次医療施設へ今までの経過を書いて紹介するのが一般的です。その病院では病状や治療法をくわしく説明されたそうです。一見なにも問題はありません。そしてその上で治療法の選択をせまわれました。さあ、どうする。彼女は途方にくれました。
そう言えば、当院が開院して早々、同じように説明されて、さんざん悩んだあげく子宮を残す手術を選択して、それはそれで正解だったのですが、その時のトラウマがきっかけで不安障害となって受診した患者さんがいました。治療に2,3年もかかりました。
インフォームド・コンセントという医学用語は、私が産婦人科の大学院を受験した頃にに初めて登場した言葉で、教授の口頭試問にも採用されました。医師になって2年目でしたが、何でこんな当たり前のことが取りざたされているんだろうと思っていたのでスラスラと答えることが出来ました。それまでは患者さんやその家族に病状を説明することを、業界用語で「ムンテラ」と言っていました。和製ドイツ語で、ムント・セラピーの略です。ムントは口、セラピーは治療という意味ですが、医療者が一方的に言いくるめるといったマイナスのニュアンスも少なからず含まれていました。もちろん「同意」という意味はありません。インフォームド・コンセントは医師と患者が対等であるという視点から、もてはやされるようになり現在にいたっています。
しかし、実際に医師と患者が「心理的」に対等ということはありえません。「説明」は医師の知識と技量の範囲でしかなく、「同意」は患者さんが医師の説明を完全に理解していることが前提となります。患者さんは医師の説明の50%くらいしか理解していないと言われています。医学用語そのものが難しく、それをいろいろと羅列され、治療の成功率や薬の副作用、癌ならその再発率が何%だなんて言われても、即座に決断できないのは当たり前です。医者自身が病気になったって迷うばかりです。
ここで思い出したのが斗南病院で研修したときのこと。豪放磊落な丸山先生が、同僚の先生が患者さんにレントゲン写真を示しながら熱心に説明しているのを見て笑って言いました。「あんなに説明しても患者は何も分かっちゃいないぞ。死ぬか生きるかそれだけ知ればたくさんだ」。そんな先生が、後に私が患者さんとの関係がこじれて相談したときに言った言葉。「説明不足だったな」。
私は「ムンテラ」のもともとの意味、「言葉での治療」が好きです。先輩やベテラン助産師さんから「少しばかり重症と説明した方が後で感謝されるよ」と教えられましたが、私は、患者さんに希望を持ってもらう方が大事なのではないかと考えました。大学病院での2年目、不妊症治療が成功してめでたく妊娠した妊婦さんがいました。しかし、レントゲン写真を浴びたということで心配していました。不妊症担当の先輩は文字どおりレントゲンによる障害の確率を説明しました。産科担当の私は正常妊娠でも奇形はまぬがれない、レントゲンによる影響はそれに対して微々たるもんだと説明しました。先輩は、「佐野、あんなに喜んで帰って行ったぞ、大丈夫か?」と呆れたように言いました。
さて、はじめに登場した女性に対する私のアドバイスです。「先生だったらどうします?と訊いてみたら」。その後はうまくいったようです。
第133回 忙酔敬語 インフォームド・コンセント(説明と同意)