「すいません、わたしって痛がりなんです」
不妊症の検査の第1ステップである子宮卵管造影をしているとき、患者さんが恐縮して言いました。別に検査に支障をきたすような痛がりかたではありません。
「気にすることはありません。痛みを分かるってことは大事なことなんですよ。何も感じないと体の中で起きている病気が知らないうちに進行することだってあるんです」
こうなるとかえって脅しているみたいですが、実際に「失体感症」という心身医学の基本的な概念があります。身体の異変に気づかない状態です。具体的には食べ過ぎても具合が悪いことに気づかないので肥満になったあげく、いわゆるメタボになるとか、疲れているのに頑張りすぎてダウンしてしまうとか、いろいろあります。
女性の方が男性よりも心身症になることが多いとされますが、「失体感症」は男性に多いようです。女性だったらちょっと調子が悪いと生理が不順になったり、更年期かな?と思って医療機関に受診されますが、男性はやばくなるまで気づかないことがあります。うつ病は統計上は女性の罹患率が男性よりも高いのですが、うつ病で気をつけなければならないのは自殺です。予想に反して自殺は男性に多く女性の2倍にもなります。男性には心理面接や検査ではくみ取れない危うさが潜んでいるようです。
「失体感症」という言葉を提唱したのは日本の心身医学のパイオニアである池見酉次郎先生です。先生はそれまで知られていた「失感情症」という概念を土台にして「失体感症」の存在に気づかれました。さすがに目のつけ所が違うな、と今でも感心させられます。
現在、「失感情症」については医学生や看護師にも知れわたっていますが、「失体感症」については忘れ去られてしまった感があります。私は先に述べたように「失体感症」の方が多くの疾患の根底にあるので、もっと重要視されてもよいと考えています。
「失感情症」とは生き生きとした感情がわいてこない、相手の気持ちが理解できない、他人との情感を共有できないなど、うつ病や、その他の精神疾患や心身症のコアになる概念ととらえられてきました。しかし、改めて考えてみると、これらは「発達障害」とかぶる部分が多いようです。私の友人で心療内科を開業しているS君は、10年以上も前に「ちょっと普通じゃないのはみんな発達障害だ」と言っていました。最初は何のことか分かりませんでしたが、最近になってやっと理解できるようになりました。
「発達障害」は軽症も入れると10人に1人くらいがあてはまります。この「障害」という言葉が誤解を招き、3歳児健診で我が子が「発達障害」の可能性がある言われたお母さんに相談されることもあります。ありていに言うと、「発達障害」は自分が興味を持っていることにしか集中できないオタクです。それ以外は人との関わり合いも苦手なので空気が読めません。ノーベル賞級の科学者はほとんど「発達障害」にあてはまります。「発達障害」の子に対してはその子に合った環境を提供するということにつきます。「発達障害」にくわしい信州大学教授の本田秀夫先生は、「発達障害の子供を治そうとは思っていません、とにかく一緒に楽しく過ごすことを第一に考えています」と語っていました。
では本当に「失感情症」は少ないのかというと、幼いときに甘えることを我慢した子が成長する過程で、精神的に破綻した例を診たことがあります。今、問題になっているヤングケアラーの子供たちにも潜んでいるはずです。早く手をうたなければなりません。