朝日新聞の土曜のb面に連載されている山科けいすけさんの四コマ漫画『らいふいずびうちふる』を愛読しています。かなりひねったギャグですべることもありますが、適度な毒が私のツボにはまります。題名からして映画『ライフ・イズ・ビューティフル』をひねっているのは明白です。この映画はまだ見たことがないので、映画にくわしい長女に訊いたところ、「ユダヤ人の収容所で父親が息子を助けるために死ぬ話」だと言いました。いくら有名でも、そんな辛気くさい映画はイヤだと敬遠していました。
3月11日の新聞のテレビ欄でBSプレミアムで午後9時から放映されることが分かったときも見るか見まいか迷いました。結論から言うと見て正解でした。始めの方はギャグ満載のドタバタ喜劇で、「選局を間違ったのではないか」とテレビ欄を確認しようとしたほどでしたが、テンポが早くまたたく間に主人公は結婚して前半は終了。その間、イタリアのファシズムの様子がうかがい知れたので、選局を確認する必要はありませんでした。
『ウィキペディア(Wikipadia)』による「あらすじ」を紹介します。〈第二次大戦前後の1939年、ユダヤ系イタリア人のグイドは、叔父を頼りに友人とともに北イタリアの田舎町にやってきた。陽気な性格の彼は、小学校の教師ドーラと駆け落ち同然で結婚して、愛息ジェズエをもうける。やがて戦時色は次第に濃くなり、ユダヤ人に対する迫害行為が行われる。北イタリアに駐留してきたナチス・ドイツによって、3人は強制収容所に送られてしまう。母と引き離され不安がるジェズエに対しグイドは嘘をつく。「これはゲームなんだ。泣いたり、ママに会いたがったりしたら減点。いい子にしていれば点数がもらえて、1000点たまったら勝ち。勝ったら、本物の戦車に乗っておうちに帰れるんだ」。絶望的な収容所の生活も、グイドの弁術にかかれば楽しいゲームに様変わりし、ジェズエは希望を失うことなく生き延びることができた。ナチスの撤退後、ゲームの「シナリオ」通り収容所に連合軍の戦車が現れ、ジェズエたちを解放する。ジェズエは母と再会することができたが、そこに最後まで息子を守り抜いたグイドの姿はなかった。〉
「あらすじ」を読む限り、映画を見ていない方は私と同様に、後味が悪いのではないかと思われるでしょう。私がときどき引き合いに出す高島俊雄先生は、「芸術は『何を』描くかではなく、『どう』描くかが勝負なのである」と述べています。『ライフ・イズ・ビューティフル』はこの「どう」が素晴らしい。
まずその映像美。同じイタリア映画の巨匠、フェデリコ・フェリーニを思い起こしました。ペレペラしゃべりまくる典型的なイタリア男のグイドには、始めは「ちょっとあり得ないな」と身を引きましたが、これも収容所に入れられても変わらぬ饒舌さの伏線として納得しました。最後にアメリカ軍の戦車が幼いジェズエの前に現れたときは、口から出まかせが事実となったわけで、思わず笑ってしまいました。そして、叔父さん役のジュスティーノ・ドゥラーノ。アヤシゲなグイドとは正反対でいかにも信頼できそうな雰囲気があり、この人が画面に現れると何だかホッとしました。ガス室へ入れられる直前でもナチスの女性職員に対してさえ思いやりを示す紳士ぶりには心底カッコイイと思いました。
最近、「生きている意味が分からない」と言う鬱病の患者さんに、『ライフ・イズ・ビューティフル』を勧めてしまいました。映画の好みは人それぞれです。私と同様にツボにはまり元気になってくれればいいのですが・・・。
第116回 忙酔敬語 ライフ・イズ・ビューティフル