最近は平成生まれのお母さんが増えてきましたが、初めて平成生まれの15歳の女の子が妊娠で受診したときは、ちょっと衝撃でした。こんな子に子育てが出来るんだろうかと心配になり、「赤ちゃん語が分かるかい?」と聞いてみました。すると「お姉ちゃんがここで二人産んでいるし、小さいいとこもいるし、分かります」と自信たっぷりでした。はたして赤ちゃんの世話は手慣れたもので、スタッフも感心していました。その後も二人産んで楽しく三人の子育てをしています。三人目の赤ちゃんを産んで入院しているとき、例のお姉さんがお見舞いに来て、赤ちゃんを抱っこしながら「あんまり可愛いから連れて帰っちゃおうかな」と、おチビさんにとって大変いごこちの良い一族と判明しました。
「赤ちゃん語」という言葉は、漫画家の石坂 啓さんの『赤ちゃんが来た』(朝日文庫)に書いてある「アカンボ語」を、私が誤って記憶したものです。以下、「アカンボ語」の抜粋です。
〈泣き声によって腹が減ったのかオムツが濡れたのか、熱いのか寒いのか痛いのかというのを察知すべき‥‥なんていうのをきいたときは「シチメンドクサイ‥‥」と思わないでもなかった。しかし一緒に暮らしてれば、なんとなくそのへんの感じが自然に読みとれてくる。顔の表情にしたって最初はそれほど複雑ではない。①機嫌がいい ②悪い ③すごく悪い、の三パターンくらいで、それが徐々に①と②の間、②と③の間にそれぞれ中間のトーンができ、さらにまた間にそれぞれ中間のトーンができ、‥‥といった具合に細分化されていくのだ。智恵がつくたびに正直に顔や声に出る、といった感じで、新米ハハにもついていけるくらいのわかりやすさ。よくできている。
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これまでは赤ん坊の泣き声は単なる「泣いている声」だった。うるさいナーともよく思った。しかしアカンボ語のヒアリングをマスターしてしまった私は、どこかで泣いている赤ん坊の声を聞くたびに、たまらない気持ちになる。いてもたってもいられなくなる。赤ん坊に関心のない若いコが「なぐりたくなる」とか「気絶させてやろーか」とか冗談で言っても、それがきついギャグだとわかっていても、「ひどいことを言うなァ」と胸が痛んでしまう。〉
石坂さんのように「赤ちゃん語」をマスターすれば育児が楽しくなり、また、赤ちゃんも自分の欲求が伝えられるので、母児ともしあわせです。
子育ての経験のないお母さんでも、二十前後の若いお母さんは、本能の記憶が残っているのか「赤ちゃん語」の理解は早いようです。退院診察や一か月検診のときに「赤ちゃん語が分かるようになった?」と聞くと、「だいたい何となく‥‥。」とニッコリ笑います。
年配の初産になるとちょっと難しいようです。「抱っこしていればいずれ分かるようになりますよ」と焦らせないようにしています。しかし、三十なかばを過ぎても理系を極めた女性は「赤ちゃん語」のマスターが早い印象を受けます。「毎日が発見です」と子育てが面白くて仕方がないそうです。ちなみに石坂さんがお産したのは34歳のときでした。
ここで、「赤ちゃん語」をドリトル先生のように駆使できた、当院の名誉院長であった故南部春生先生のことを思い出しました。
次回は南部先生について語ります。
第97回 忙酔敬語 赤ちゃん語