年末年始の6日間は行くところもなくヒマだったので、図書館から塩野七海著『ローマ人の物語』を借りて読みました。1年に1巻、15年間かかって書いた大作で、今まで不思議に思っていたことがかなりはっきりしました。塩野さんご自身、「これは学者の書く歴史書ではなく物語です」と言われていますが、膨大な資料を読み込んでいるので確かに思い入れはありますが、司馬遼太郎さんの歴史小説と比べるとやはり歴史書みたいでした。
誰でも疑問に思うこと。「なぜローマは滅びたのか?」。これはローマが最盛期に達したときに分かりました。塩野さんも述べていましたが、ローマ人がローマ人ではなくなったからです。
ローマ人は人類史上最もタフな民族でした。遺跡を見ても分かりますが、帝国では属州(北アフリカ、スペインなど)でも本国のローマのように水道橋、大浴場、コレッセオなどのインフラが完備されていました。高さ何十メートルもある水道橋が走っているのを見ると「そこまでやるか!」と呆れるばかりです。「すべての道はローマに通ず」の街道はガチンコの石畳で、重装備した軍団をまたたく間に派遣できるように厚く幅広く石が敷かれ、さらに歩道まであり、目的地まで原則まっしぐらに突っ走っています。行き手に川があれば石橋をかけて同じレベルの道を作り、森があればそれを切り開いて道を敷きました。
江戸幕府は敵が迅速に責めて来られないように河には橋も架けず、道はクネクネとしたままでした。そもそも敵に対する考え方が違っていたようです。江戸時代の各藩は同じ民族なのでお互い似たようなレベルでしたが、広大なローマ帝国はとにかく各属州まで一気に軍を推し進める必要がありました。帝国周辺の蛮族は重装備されたローマの軍勢を見ただけでマイッタ!と降参したことでしょう。
ローマ軍のやることは実際の戦闘よりもインフラの設置がほとんどでした。いわゆる剣ではなくツルハシを握っていることが多かったのです。労働はイヤイヤながらではなく誇りを持ってやっていました。
「ドーダ!俺たちはすごいだろう!!」
兵士には充分な食料と退役後にも年金が支給され、公共事業的な面もありました。
蛮族が降伏すれば帝国の一員として繰り込まれ、市民に準じた待遇をされたので、「ローマの平和」と呼ばれる人類史上まれに見る戦争のない時代を200年も維持しました。しかし、もともと血の気の多いローマ人はコロッセオでの殺し合いを楽しみました。殺し合いは剣闘士同士のこともあれば囚人に猛獣をけしかけるなど、いろいろバリエーションがあり、残酷であまり日本人好みではありません。あえてあげれば相撲かな、スペインだったら闘牛、アメリカ人ならボクシングか・・・
こうした血の味を忘れない文化を維持していましたが、生活水準が上がっていくにしたがって「ドーダ!」の精神はすたれ、兵役を嫌うムードが漂い始めました。こうなるといくらカエサルみたいな天才的な指導者が現れても無理というものです。
その点ベトナム人はまだベトナム人です。患者さんとして訪れるベトナムの女性達を見ると一見地味ですが実にたくましい。これだったらモンゴル帝国を撃退し(日本人も元寇を2回撃退しました)、ベトナム戦争でアメリカを退けたのが頷けます。短期労働者ではなく、本格的に移民として受け入れても良いのではないかと私は思っています。