佐野理事長ブログ カーブ

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第413回 忙酔敬語 人口動態の推移

 胸が悪くなるほど嫌いな言葉があります。

 「近頃、戦争(日中・太平洋)を知らない世代が増えてきたので心配である」 

 それのどこが悪い!知らないのが当たり前だろうが!また戦争をしろとでも言うのか!

  まあ、言葉の使い方の問題なのは分かるのですがね。直接戦争を体験しなくても実感させられるデーターがあります。人口動態のピラミッドです。

 中学生の頃に社会科の教科書に記載されていた日本の人口の動態はまさにピラミッドでした。生まれたばかりの赤ちゃんの人口が多くて、世代が上がるにしたがって病気や事故のために先細りして、超高齢者はピラミッドの頂点でとんがっていました。

 そこで目に着いたのが父の世代の男性のヘッコミでした。戦争で犠牲になったため明らかにそこの人口が少なくなっていたのです。これだけ見ても子供でも戦争の悲惨さは分かりました。

 その頃の先進諸国の人口動態は紡錘型で、生まれた赤ちゃんはほとんど死ぬこともなく高齢化をむかえました。少子化になると赤ちゃんよりも中高年の人口が多くなるため逆ピラミッドとなります。今の日本の人口がそうです。たった半世紀あまりでピラミッドから逆ピラミッドになりました。

 それにしたがい、父の世代のヘッコミはだんだん上に押し上げられ、90歳以上になった頃にはついに消えてしまいました。まさに平和になったのです。しかし、人口の動態の推移は簡単に調べることができます。それをシミジミと見ればいかに戦争が悲惨であることは誰でも実感できるはずです。実感できなければバカです。

 さて、悲惨な目にあった当事者である父の感想はどうか? 父は大正7年生まれで会社員として働いていましたが、赤紙が来て満州(現在の中国の東北地方)に派兵されました。砲兵隊に所属したため直接バトルに参加することは少なかったようです。砲兵隊では砲弾の方向と距離を計算していました。あるとき計算を間違えて味方に墜ちる結果を出してこっぴどく叱られました。叱られただけで殴られたりはしなかったみたいです。どうも上官に恵まれていたようで軍隊そのものについて非難めいたことは聞かされたことはありませんでした。戦争絶対反対論者の司馬遼太郎さんも尊敬できる上官の下なら死ぬこともいとわなかったろうと言っていました。男とはこういうもんなんでしょうか?・・・。

 敗戦後、父はソ連軍の捕虜となりシベリアに抑留されました。シベリア抑留者の1割が餓えと病気で亡くなりました。父に言わせるとその原因のほとんどが餓えのために食べてはいけない物まで食べたからだそうです。父は代々続く医者のせがれだったためヤバイ物には絶対に手を出さずに生きぬきました。また共産党の先輩のアドバイスでロシア語を勉強したため個人的にロシア人と仲良しになりました。ですから晩年まで政治体制はともかく「ロ助(ロシア人のこと)は良い奴だった」と言っていました。

 死期が近くなったときの日本はバブルが崩壊していました。「これからの日本はダメになる、俺は良いときに死ねた」と言っていましたが、私から見ると父はかなりヒドイ目にあっています。しかし戦後の経済成長のまっただなかを生きることができました。

 私は私で生物の6度目の大量絶滅が始まっているにもかかわらず運の良い時代に生きてきたと思っています。どうも親子二代にわたって脳天気なようです。