佐野理事長ブログ カーブ

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第757回 忙酔敬語 『女について』

 学生のときに読んだショーペンハウェルの『女について』が無性に読みたくなってジュンク堂に行きました。店員さんに聞いたら、もう文庫本はなく7年前に朝月道書店が漫画などを加筆して出版した単行本ならあるというので買いもとめました。

 50年ぶりにあらためて読んでも内容はほとんど同じでした。同じ本なんだから当たり前と言えば当たり前のことですが、30秒前のことは忘れても50年前のことは覚えているんだな、と可笑しくなりました。

 『女について』は終始女性の悪口でつらぬかれています。女の人が読んだらほとんどの人が怒ります。研修に来た札幌医大の女子学生に読ませたらやはり「カチンと来ました」と言っていました。今ならこんな本を書いたらバッシングを受けるところですが何せ200年以上前の著作なので、いまさらとやかく言われる恐れはありません。以下、その内容をピックアップしてみます。

 「わたしたちがごく幼い時分、わたしたちを育て、ものを教えこむのに、女が全く適役であるのは、女というものが、みずからも、子供っぽく愚かしくて、その上、身近の物ごとだけを見ている、いわば、一生、大きな子供であり、要するに、子供と、真の人間である成人男子とのちょうど中間に位する段階に属するからである」

 「およそ、ある物ごとは、それが高尚・完全なものであればあるほど、より遅くより深く緩慢に成熟に達するものである。男性にあっては、その理性と精神力とが、二十八歳以前に成熟の域にいたることは、ほとんど見られないのに、女性は早くも十八歳で成熟してしまう」

 「男性は、自分よりもずっと目下の者に対してすら、常に、やはり或る程度の遠慮と人情味をもって話をするけれども、高貴な婦人が、身分の低い(しかし、自分の召使いではない)女と話をするとき、一般に、いかにもいばった、そして、さげすむような態度をとるのは、はたで見ていても我慢がならないくらいである。というのは、要するに男たちの運命には幾百もの事項が関係をもつのに反して、女性にあってはただ一つのこと、すなわちいかなる男に気に入られたということ、のみで、その運命がきまるからである」

 どうです?ヒドイでしょ。同時代の哲学者であるカントやゲーテが溢れるような温かい母の愛につつまれて成長したのに対して、ショーペンハウェルと彼のお母さんとの関係性は冷え冷えとしていたそうです。ですが彼の述べていることは生物学的に考えると当然なことです。生物の基本は子供を生み育てて次世代につなぐことにあります。女性がその中心となるのは当たり前です。男はそれを外部から守るために多様な対処をしなければなりません。ショーペンハウェルはその多様な対処を尊いことだと過大評価したようです。

 現在の女性の多くは、松尾芭蕉の「夏草や兵どもが夢の跡」を読んでもなんのこっちゃと思うでしょうね。しかし俵万智嫁さんの『サラダ記念日』「『よめさんになれよ』だなんて缶チューハイ二杯で言ってしまっていいの」や、埃(hokori)さんの『限界OLクソ短歌』「家中のコップがシンクで死んでいる計量カップで飲む水うめ~」といった身近なテーマには深く共感します。アイドルグループを見るに、男性のグループは仲良しなのに対して、女性のグループではいがみ合いが絶えないそうです。ショーペンハウェルの言うようにそもそも精神構造が違うのです。当たり前のことです。悪いことではありません。