私は日本史が苦手でした。漢字で回答しなければならなったからです。今になって漢字がダメな理由が分かりました。軽度の発達障害のせいでした。子供の頃から得意・不得意がハッキリしていて、「敬夫ちゃんは変わった子だから」と親戚の叔母さん、叔父さんにも言われてきました。漢字がダメなのと発達障害の関係はニトリの似鳥昭雄会長が、「自分はADHDで小学6年生まで自分の名前を漢字で書けなかった」とカミングアウトしてくれたおかげで判明しました。私は小学3年で書けるようになったのでいくらか軽症です(?)。その後、漢字を書けないことに関して居なおれるようになってスッキリしました。いわゆる自分に関するトリセツができたのです。人と会話しているうちに浮いている自分にも気づけるようになりました。
さて、いきなり本題からはずれてしまいました。最近、放送大学の「古代中世の日本史」を興味深く観るようになりました。そして近藤成一先生の「古文書を訪ねる旅」を観て、歴史って暗記するのではなく発見するものなのだ!とあらためて感に入りました。新潟県立歴史博物館を訪ねた近藤先生は、土地の相続問題を裁判した北条義時らの文書を読み説きます。ふつう学校で習うときは結果の記述だけですが、重要文化財の古文書を映像に映しながらの解説です。
内容は、兄弟どおしの土地の配分をめぐっての争いで、讀賣新聞『人生案内』レベルのものでどうってことはないのですが、よくもまあ、両方の言い分や義母や祖父の意見にも配慮してそれらを記録し、最後を花押を入れてお疲れさま、といった文書でした。しかし、さすがに重要文化財に指定されるだけあって保存状態は完璧でした。実物の古文書を見ることでいろいろなことが納得できました。
公正な裁きのため北条時代の幕府は「いざ鎌倉へ」と言われるほど信頼されるようになりました。のちに勝海舟も北条氏の政治は無私の精神だった評価していました。鎌倉時代はご存じのように武士の時代で、武士のより所は「一所懸命」という言葉が示すように土地(一所)を懸命に守ることでした。そのままだったらお互いにケンカに発展しますが、鎌倉殿が公正に取りなすことで安定した時代を築くことができました。言葉では分かっていたのですが、いざ重要文化財級の史料を見ることで心から納得することができました。
歴史を正しく知るには歴史物ではなく当時の記録一次史料を調べるのが基本です。一次史料の代表格は藤原道長の書いた『御堂関白記』です。道長の直筆で藤原家の家宝として現代まで奇跡的に残されてきました。なんせ直筆なので執筆当時の道長の心境まで分かるそうです。超一級の一次史料なので国宝かつユネスコ文化遺産にもなっています。妻が大河ドラマ『豊臣兄弟』にうつつを抜かしているので「そんな信憑性の乏しいドラマなんか・・」と言ったら、「歴史なんて面白ければ良いんじゃないの!」と反撃されました。信長の登場する歴史ドラマは「桶狭間の戦い」など二次史料の『信長公記』をより所にしています。実は妻の「歴史は面白ければ良い」という態度は中国ではまかり通っています。
『史記』の「虞や虞や汝をいかんせん」はまるで小説です。『三国志』で諸葛孔明が説く「天下三分の計」はそばで記録している者もなく明らかに作り話です。でもそうしたこと削除したら歴史は寂しいものとなってしまいます。自由な表現は中国の歴史家の腕の見せどころです。でも一応、科学者のハシクレである私は事実の方に関心があります。





