体がシンドイので更年期障害と思った患者さんが受診しました。こうした患者さんに対しては必ず「何かストレスになるようなことはありませんか?」と訊くことにしています。心身症の患者さんに接するときは「受容」が大切だと言われていますが、「受容」だけでは治る患者さんも治りません。どうしてそうなったか不思議に思うことだ大事です。はたして「父の介護が大変で、とくに入浴の介助が体に応えます」と涙を浮かべました。
患者さん本人は更年期障害と思っているので心身の疲れをとる帰脾湯と軽い睡眠導入薬を処方しました。他の家族の方と相談していますか?と問うてもしていないとのこと。これらの処方薬では根本的な治療にはならないので助け船を出しました。
「体の不自由な人をお風呂に入れるのは大変なことですね。お風呂に入れられるお父さんにとっても湯船に浸かるということは負担になります。いっそのこと体を拭いてあげたらどうですか」
本人の予想と違った提案に患者さんはキョトンとしました。
「斎藤茂吉という歌人をご存じですか? 茂吉の次男で北杜夫という作家が茂吉の思い出話を書いています」
〈俺がミュンヘンに留学したとき、同室した女がコップ1杯の水で体中を丹念に拭いていた。たった1杯の水でだぞ。風呂と違って水の倹約になる。あれは見習うべきだ〉
半世紀以上も前に読んだ『どくとるマンボウ青春期』が役にたちました。同室の女性がどういった素性の人なのかは書いていませんが、茂吉の時代は不倫は男の甲斐性だと言われていました。茂吉はミュンヘン時代の思い出を歌に詠んでいます。
「ミュンヘンにわが居りしとき夜ふけて陰(ほと)の白毛を切りて棄てにき」
陰(ほと)の白毛とは陰毛に白毛が混じっていたということ。異郷の地で俺も年をとったものだなあ、という心境を詠んでいます。この歌が掲載された『ともしび』を読んだ北杜夫の友人が「なんだ、自分の毛か・・。てっきり女の毛かと思った」と言いました。陰(ほと)の語原は『古事記』に登場するアメノウズメが天の岩戸にこもった天照大神を誘い出すためにストリップダンスをして、陰(ほと)まで見えてしまったという逸話から来ているので、友人が彼女の毛だと勘違いしたのも無理はありません。
茂吉は精神科医でもあり妻の家の養子となり病院を引きつぎました。養子だからといって萎縮するような人物ではなく自由勝手に生きたので妻とはへだたりがありました。妻も自由な人で生前は世界中を旅行したことで知られています。
茂吉は万葉集の研究家としても知られ、岩波新書の『万葉秀歌』はロングセラーでいまだに読みつがれています。そのなかで取り上げた額田王と大海人皇子の問答歌。
額田王「あかねさす紫野行きしめ野行き野守は見ずやきみがそでふる」
大海人皇子「紫の匂えるきみをにくくあらば人妻ゆえにあれ恋いめやも」
茂吉はこの大海人皇子の歌を、複雑な恋心をみごとに表現していると、万葉集最高の歌と賞賛しています。予備校の先生は茂吉は妻とうまくいっていなかったからこんな心境になったのだと嗤っていました。
茂吉は気性の激しい人で生前はいろいろな人と大喧嘩していました。その個性は今も健在で、私も更年期の相談から万葉集のお話しに引っぱられてしまいました。





