四半世紀も前、愛知県にある「お産の家」が大ブームになりました。とにかく自然なお産をめざす。施設は江戸時代風の木造建築で、妊婦さんはそこで合宿生活みたいな体験をしました。薪割りをしたり、毎日2時間のお散歩。多少お腹が張ってもよいしょよいしょと頑張って行進です。雨降りなどで散歩ができなければスクワット100回。院長は吉村正先生。新聞などで取り上げられ、あちこちで講演会をされました。当院のスタッフの1人はそんな自然なお産にあこがれて吉村産院へ転勤しました。
吉村先生の講演会は札幌でも開催されました。開口一番、吉村先生は言いました。
「わたしはクレージードクターと言われています」
正直な先生だな、と思いました。
「お産の家」での分娩を希望して全国から妊婦さんが集まりました。吉村先生はまず3時間の面談をしてから引き受けることにしていました。まるで洗脳だなと思いました。その後、吉村先生のお弟子さんである大野明子先生の『分娩台よ、さようなら』を読んで納得できました。大野先生は「引き受ける条件として妊産婦さんに異常を受け入れてもらうことが前提です」と明記していました。現代的な医療の介入をしなければ早産などいろいろな事態が発生します。
吉村先生は早産予防に使用されるリトドリンを毒と決めてかかっていました。そうなると当然、早産になるケースも出てきます。妊娠27週で生まれた赤ちゃんはふつうは1000gあり、NICUで手当を受ければ助かります。しかし吉村先生は1000gの赤ちゃんをお母さんに抱っこさせ、自然な流れにまかせました。お母さんに抱かれて亡くなる赤ちゃんもいます。そんな話を当時、当院にいた南部春生先生に報告したところ、「そんなやり方もあるのかねえ」と呆れていました。のちに当院に来てくれた笹島先生にも話したら「それはありかもしれませんよ」と感想を述べました。笹島先生は若い頃NICUで24時間体制で超未熟児の赤ちゃんを治療していました。妊娠27週の赤ちゃんはほぼ100%命は助かりますが、その後の発達を見ていると、できたら妊娠34週まで保たせてほしいとのことでした。世界的に見ると日本のNICUの技術は職人なみで生存率はダントツ1位です。
吉村先生が毒と決めつけたリトドリンは欧米では48時間しか使われていません。WHOやイギリス文化圏の国々ではそもそも早産の治療という概念もないということです。日本は早産予防にも力をそそいでいて、その成果は統計学の比較でも明らで、周産期死亡は世界で一番少ない国です。
吉村先生の話はすべてクレージーかというと、そうでもなく参考になる点も多々ありました。当時、妊娠10ヵ月になってから破水すると、感染を心配して少しでもはやくお産にもっていこうとする風潮がありました(基本的には今でもそうですけど)。吉村先生は破水したお母さんがニコニコと笑っている写真を示しながら、「このお母さんは3日後に無事にお産をしました」と胸を張っていました。笹島先生が当院にいらしてとき、ふとつぶやきました。「破水したからといってどうして産科の先生はあんなに無理して分娩誘発をするんだろう?赤ちゃんにだって生まれたい時期があるはずなのに・・・・」
吉村先生の講演後、元スタッフから葉書が届きました。
「吉村先生はますますアッチの人になってしまいました」