まもなく90歳になるお年寄りが娘さんに連れられて受診しました。認知症がすすみ施設のお世話になる予定でしたが、梅毒の検査が陽性で待ったがかかったのでした。
娘さんは20年も前に当院でお産しました。当然、梅毒はルーチンの検査として妊娠初期にしていましたが陰性でした。お母さんはその頃にはすでに梅毒反応は陽性だったと思われます。しかし、その兆候もなく感染力もありませんでした。
「大丈夫だと思いますよ」と説明しながら念のため、さらにくわしい検査をしました。
やはり陽性でしたが、抗体は微量で感染力はなく、もちろん治療の必要もありません。施設あての診断書を書きました。
梅毒は20年前から日本の統計では殖えつづけています。私は『医事新報』で毎週、その動向に注目していました。20年前はエイズと同程度でしたが、10年前はエイズの2倍となり、コロナの流行る5年前には5倍、そして最近は10倍以上と急増しました。まさにアレヨアレヨという感じでした。
梅毒もエイズも性感染症で、感染経路はほとんど同じなのにどうしてでしょう?梅毒の方がエイズよりも感染力が強いからです。エイズの治療は特別な施設でのチーム医療が必要ですが、梅毒は一般診療所でもペニシリン系の抗菌薬で治療が可能です。ではどうして増加しているのでしょう? 昔とくらべて症状の発現するケースが減少したため見過ごされているからです。梅毒を治療している場合は保健所に届け出をする義務がありますが、自分では気づいていないケースは把握できません。ですから実際はさらに倍以上の梅毒患者がいると考えられます。
梅毒はコロンブスが新大陸を発見して以来、100年たらずで地球を一周して日本にたどり着きました。徳川家康の次男、結城秀康はじめ多くの戦国大名が梅毒で亡くなったとされていますが、文献による推察なので詳しいことは分かりません。では新大陸の先住民はどうだったかというと現在のように症状は軽かったと考えられます。かたやスペイン人などは天然痘や麻疹、インフルエンザなど急性の感染症を持ち込んだため、免疫のない先住民は大打撃を受け、インカ文明などが滅亡しました。
昔も梅毒に感染したらすべての人間がやられたわけではありません。梅毒がどんな病気かはジョニー・デップ主演の『リバティーン』を観ればわかるでしょう。私は放蕩な主人公の彼女たちがどうなるのか心配でしたが、映画ではその後の彼女たちは紹介されていません。私が大河ドラマ『べらぼう』を観ないのは吉原の人々がどうなっているのか気になり、生理的に拒否反応を起こしているからです。
単純ヘルペスもひそむ感染症の代表格です。私くらいの年代では八割くらい感染していると言われていますが、さいわいにも症状は出たことはありません。気の毒に何回でも再発症する患者さんも少なくはありません。再感染で重症になることはほとんどありませんが、脳をやられると性格が一変して大変なことになります。また、お産間近に発症すると赤ちゃんに感染してこれまた大変なことになります。そこでヘルペスの既往のあるお母さんにはお産が近づいたら予防的に抗ウィルス薬を飲んでもらいます。
カンジダもひそむ病気のひとつです。6人に1人くらいの女性の腟内にひそんでいますが、免疫力が落ちてくると発症します。妊婦さんや糖尿病患者さんもよく発症します。