中学1年生のときの担任は美術の田中先生でした。先生はまだ29歳でしたが老けて見えました。理想主義的熱血漢で、「本当の学問は数学と哲学だ」と言っていました。先生自身は油絵の洋画が専門でしたが、日本の仏像や浮世絵のすばらしさをスライドで紹介してくださいました。その仏像のなかで中宮寺の半跏思惟像(弥勒菩薩)に惹かれて、その後、写真家の土門拳さんが撮影した上半身のお姿を高校の修学旅行で買い求め、いまだに机の上に置いています。数学がどういうものかはだいたい分かりますが、哲学についてはいまだにどういった学問か正直いって理解は今一つです。
昔、ある西洋人の評論家が「日本人は『美』に関してはすぐれたセンスを持っているが、『知』については得意ではないと思っていた。しかし西田幾多郎の『善の研究』を読んでから、その意見を撤回した」と新聞で述べていました。そこで20歳をすぎたばかりの私は『善の研究』を買い求めましたが、2ページくらいでギブアップしました。
しかしながら哲学についての憧れは持ち続けました。哲学者の本で最後まで読破したのはショーペンハウエルの『女について』でしたが、女性に関しての悪口に終始して、とても哲学といえる内容ではありませんでした。
一昨年、私が非常勤講師をしている看護学校の控室で若い非常勤講師とふれあう機会がありました。気にはなっていましたが、こちらから声をかけることはなく、その年度の私の最終講義となりました。青年は「わたしは生命倫理を担当しています」と自己紹介しました。北大で哲学の研究をされているとのこと。もっとお話しがしたかったと後悔しましたが、その年はこれで終了。次年度に「生命倫理」の聴講をしようと決心しました。
昨年の11月から12月にかけて、毎週月曜日の私の講義の前に、学生にまじって猪ノ川次郎先生の講義を聴講しました。名前からしてカッコ良いですね。「生命倫理」なんて医療の現場を経験していない者には早すぎます。はたして学生の大半は爆睡していました。
几帳面な猪ノ川先生は、そんな学生におくすることなく、たんたんと90分の講義を押し進めていきました。先生の声は鮮明で、クラシック音楽を聴いているような良い気分になりました。
「そもそも哲学とは?」では、自分たちがすでに考えていることを徹底的に内側へ深めるという点が重要である、と解説されました。その例として「どこにいる」ゲームを紹介されました。
「あなたはどこにいる?」→「北海道看護専門学校の校舎」
「それってどこにあるの?」→「札幌市」
「札幌市ってどこになるの?」→「北海道」。その後、「日本」→「地球」→「宇宙」とはてしなく疑問は進んでいきます。
私は「日本」あたりで自分なりの回答が出て、講義が終了後、猪ノ川先生に「あなたの目の前ですよ、ではダメなんですか?」と質問しました。猪ノ川先生はしぶとく「電話ならどう答えるんですか?」と切りかえされました。私は待ってましたとばかり「あなたの意識のとどく範囲ですよ」と答えました。さすがの猪ノ川先生もグッとつまりました。
私はこういった問答が好きです。計5回の講義の4回は月曜日で、これには参加できましたが、木曜日の1回は外来があるので参加できませんでした。今年も聴講します。