大阪母子医療センターでのパワハラ事件が報道されました。それについてどう思うかと良導絡という鍼の研究会で一緒の女性鍼灸師に訊かれました。
「何を甘ったれてるんだ、お母さんと赤ちゃんの命をあずかっているんだぞ。気合いが入ってない!オレだったらそう言うけどな」
「佐野先生がそんなこと言わはるなんて意外です」。彼女は大阪人です。
そこで、伝説のパワハラ教授の話をしたら、「ほんまにそんな事あったんですか!」とさらに驚いていました。
昭和の時代は、いわゆるシゴキといって、後輩をしった激励するのが当たり前でした。シゴキは愛の鞭とも呼ばれ、その愛の鞭を受けるべくコワイ教授のいる講座に集まるキトクな医師がいました。そのコワイ教授の教室をNHKが取材して放映しました。
九州のある国立大学の外科の教授は、優秀な医師の育成に心血をそそいでいました。教室に入った若い医師は、まず看護助手の仕事をさせられました。病室の患者さんのベッドサイドのテーブルを一生懸命に拭き掃除をしていました。NHKのインタビューに「やりがいがあります!」とその医師はイケメンではありませんが、汗ばんだ顔を輝かせてうれしそうに答えていました。看護助手の仕事をマスターしたら、患者さんの清拭とか介護とか看護師の仕事がまわってきます。当時の国立大学では採血や血管注射は医師の仕事でした。看護師の仕事がマスターしたらいよいよ採血など医師としての修行に入ります。
よりによってその講座が担当する病室は地下1階と地上5階にわかれており、教授はエレベーターなしで階段をドンドン上がって回診しました。教授は定年間近でどう見ても老人ですが、へっちゃらでドンドン上がります。そのため教室員はカルテや資料をたずさえて息絶え絶えに教授のあとについていかねばなりません。そして病室にたどりついたら患者さんの前で病状の経過を報告します。返答によっては教授からキツイおしかりを受けるハメになります。したがって、教授回診の前日は深夜まで準備をしなければなりません。地獄の回診と呼ばれていました。
臨床に関してかように熱心でしたが、大学病院ですから研究もしなければなりません。教授は夜11時ころ、「どうだい、うまく進んでいるかい?」と実験室に現れました。タフな教授はカメラの前なのかニコニコしています。まったく気がぬけません。
そして、朝の7時、定例の勉強会がはじまります。ほぼ毎日です。
ある日、教授は医局員の前で新聞を広げていました。そこには若い医師が過労死したという記事が掲載されていました。
「君たち、これをどう思うかね?」
医局員たちはほとんど無言でした。教授もハッキリした見解は述べませんでしたが、映像から伝わってくる雰囲気では「君たちも彼に負けないように頑張りたまえ」でした。
当時、テレビを見た感想を師匠の郷久先生に話したら、「拭き掃除から始めるなんて大事なことだ、すごいね」、とシゴキの教授に賛同の意を表しました。
あれから40年、最近は医師に負担がかかりすぎないようにと働き方改革が推し進められています。北大の産科を定年退職した水上教授は「僕たちの世代が頑張りすぎたからこんな風潮になったんですね」と言っていましたが、その僕たちには私も含まれています。