佐野理事長ブログ カーブ

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第653回 忙酔敬語 幸福の思い出

 九大心療内科名誉教授の久保千春先生は郷久名誉理事長の親友です。札幌にいらしたとき当院で講演してくださいました。そこで私は教えを請いました。

 「いろいろ行きづまっている患者さんにはどうアドバイスしたらよいでしょうか?」

 「昔の幸せだったときのことを思い出してもらうといいですよ」

 なるほど、自分にも幸福な時代があったんだ・・・。これは励みになりそうです。

 未来永劫の幸福なんてなかなか望むことは難しそうですが、期間限定の幸福なら探せばいくらでも見つりそうです。

 けっこう前の話ですが、妊娠19週の赤ちゃんに心臓の異常を発見したことがありました。大学病院へ紹介しましたが、やはり重度の心臓奇形で、妊娠9ヵ月の末に心臓外科が待機している状態で帝王切開すれば何とかなるかもしれない、しかし助かる率は少ないだろう、と説明されました。お母さんはどうせ亡くなるのなら抱いてあげて看取りたいと自然分娩を選択しました。お産は順調でしたが予想どおり赤ちゃんはお母さんの腕のなかで亡くなりました。大学病院での1ヵ月検診の後、お母さんは当院に挨拶に来られました。

 「あの子はお腹の中で、上の子よりも強く蹴ってくれ、そのたびにわたしは幸せでした。ありがとうございました」

 私は、こんなにお母さんに愛されて、お腹の赤ちゃんもさぞ幸せだったろうなあ、とつくづく思いました。

 赤ちゃんに異常はなくても色々な事情で、赤ちゃんを育てられない女性は少なくありません。中絶するのはあまりにもかわいそうだと生む決心をしますが、その後はどうなるでしょう? 色々なパターンがありますが、赤ちゃんを引き取って育ててくれる里親は意外に多いようです。アメリカでは里親になるのはステータスシンボルのようになっています。ブラッド・ピットはじめハリウッドスターの多くは複数人の里親になっています。

 日本ではどうか? 当院では行っていませんが、産院によっては積極的に里親を斡旋しているところもあります。そういうところは分娩前から里親が決まっているので、お産が終わるとスムーズに赤ちゃんは引き取られていきます。

 はじめは自分で育てるつもりだったのにお産を終えて、やっぱりダメだと実感するパターンもあります。お母さんを支える環境、経済的な事情、お母さんの能力(体力、気力など)・・・。お産前からある程度は予想はつきますが、こればっかりは本人しだいです。

 赤ちゃんを里親に出したお母さんはいったいどうなのか? 私は、よくぞお腹の中で赤ちゃんを育て上げた!と褒めてあげたいと思います。お母さんも赤ちゃんがお腹の中で動くときは、先ほど紹介した心臓病の赤ちゃんのお母さんのように幸せだということです。

 赤ちゃんとの別れは悲しいものですが、赤ちゃんと一緒にいたときは幸せでした。

 「赤ちゃんが動くとすごく幸せになるのでできるだけ予定日近くまで一緒にいさせてください」というお母さんもいます。私も嬉しくなります。お産が終わると「お腹の中が寂しくなりました」「じゃあ、また赤ちゃんを入れましょう。お待ちしていますよ」

 最近、世界中で女性の人口妊娠中絶を受ける権利について取りざたされていますが、生む権利についてももっと目を向けるべきだと思います。この方が本来の女性のあり方ではないでしょうか。