ひところ、戦争の記憶のない世代が増加したため、またあの悲惨な戦争に突入するハメになるのではないかという懸念が取りざたされました。私も戦争を知らない世代ですが、戦争のバカバカしさは、ウクライナや中東の報道番組などを見て理解しているつもりなので、別にあらためて体験する必要はないと思っています。
5月下旬の朝ドラ『虎に翼』で、ラジオから「大本営発表!」という場面があると、反射的に怒りが込みあげました。俺もまだ枯れてはいないな、と思ったことでした。
私がまだ幼少期だった昭和30年代の頃を思い出すと、不思議にも日本人は戦争に懲りていなかったのではないかと思ってしまいます。少年マガジンや少年サンデーには日本軍の戦闘機について連載されていました。また戦艦大和や武蔵が世界一の軍艦であったことを誇らしげに書かれていました。まるで原爆さえなかったら日本は戦争に勝ったと鼓舞しているようでした。大人たちにも戦中に制作された映画『ハワイ・マレー沖海戦』を観て、「ここでやめておけば勝ったんだよなあ」とあり得ない妄想をいだく者までいました。
たとえその後のミッドウェー沖海戦で勝ったとしても、連合艦隊がサンフランシスコまでたどり着くことはなかったでしょう。日本中がお国のためにと戦々恐々としていたのに対して、アメリカではブロードウェイでミュージカルが行われ、多くの楽しい映画も制作されました。たまたま南洋で『風と共に去りぬ』のフィルムを手に入れた日本兵は「こりゃあ日本は負ける」と確信したそうです。
第2次大戦後は幸運にも日本は滅びず、さらには朝鮮戦争による好景気などで戦争の記憶が薄くなるほど発展しました。しかしながら本当に忘れたのでしょうか?
細川護煕元総理は室町時代から続くお殿様の家系で、記者たちとの座談会で「当家の財産はこの前の戦いでほとんどが焼けてしまいました」と言いました。「この前の戦いとはいつのことですか?」と記者団が質問したところ、何と「応仁の乱」とのこと。てっきり第2次大戦のことだと思っていた記者たちは「さすがお殿様!」と呆れました。お殿様は500年以上前の乱をお忘れではなかったのです。
紀元前3世紀の中国の戦国時代、秦と趙との間で「長平の戦い」が起きました。戦に勝った秦の名将の白起は趙兵40万人の捕虜のあつかいに困りました。秦の都まで連れて行く兵糧はない。開放したらまた攻めてくるだろう。結局、捕虜たちに坑を掘らせて子供以外のほぼ全員を生き埋めにしました。古代中国の一国家が10万単位の軍勢を一度に葬ったとはちょっと信じがたいのですが、その戦場には最近でも大量の白骨が掘り出されているとのことです。趙の人たちの恨みは2300年後の現在まで続き、虐殺された日には白起になぞらえて白い豆腐を食べて恨みを忘れないようにしているそうです。
亡き父はシベリア抑留などでひどい目にあいましたが、生前はつとめて愉快な思い出ばかり話していました。しかし、栗原俊雄著『シベリア抑留』(岩波新書)を読んで「これが真実だ」と暗い顔をして言いました。
生物が生きていくことにおいて生息域の陣取り合戦は宿命ではありますが、それにしても人類どおしの陣取り合戦である戦争はあまりにも度を超した行為です。現在ではハイテクのため戦費はさらに莫大で、食料など生きるための生活費とくらべたら2桁か3桁は違うはずです。そんな簡単なことに当事者たちは気づかないのでしょうか。