『医事新報』の【識者の目】に渡部麻衣子先生(自治医科大学医学部総合教育部門倫理学教室講師)の提言が掲載されていました。以下、紹介します。
〈「科学技術はこんなに進んでいるのに、なぜ月経をなくすことができないのか?」
人と技術の関係をテーマとする作品を発表してきた著名な女性の現代アーティストが、数年前、とある講演会で発したこのような問いに、私は正直に言えば若干の気持ち悪さを感じました。そしてなぜ自分がこの問いを気持ち悪く感じるのか、不思議にも思いました。 若い頃は月経痛で何度も救急搬送された経験があり、子どもに同じ思いをしてほしいとは思わない。にもかかわらず、「月経をなくす」という提案には躊躇を感じてしまう。この感覚は一体どこから来るのでしょう。人は何にせよ現状維持を選ぶ傾向にあるという、いわゆる「現状維持バイアス」のためでしょうか。あるいは「月経」という人間の自然を改変することへの恐れでしょうか。
とはいえいずれにしても、「月経軽減法」は、既に医学的な選択肢の1つに含まれているのですね。米国では、思春期の子ども向けの外来で紹介されていることを知り、驚きました。生理の重い人、痛みの強い人、子宮内膜症の場合に医師から利用を提案するだけでなく、身体障害があって自己処理が難しい場合、あるいは単に毎月の生理が嫌だ、という場合にも利用可能とされています。トランスジェンダーの子どもの場合も想定されるでしょう。
日本では、受験で本領を発揮できないのを防ぐため、予定日を薬でずらす提案がなされている例は見かけますが、月経をなくす選択肢を十代の子どもに提示している例は見たことがありません。でも、受験日でなくても毎月の月経は煩わしいものですし、トランスジェンダーの子どもにとっても忌まわしいものですらありえます。十代の子どもたちにも「月経軽減法」の選択肢は提示してもよいか?あるいは提示すべきか?
十代の子どもを持つ親として、すぐ肯定するのは感情的には難しいのですが、一方で、月経のために活動を制限され困っていたり、心理的に負担を感じたりしている子がいるのなら、やはり選択としてあったほうがよいのかもしれません。副作用については十分に理解した上であることは言うまでもありませんが、皆様はどう思われるでしょうか。〉
米国での話題を持ち出すまでもなく、当院でははすでに渡部先生が取り上げたことはほとんど日常的に行っています。患者さんが中学生ならもちろん、お母さんにも十分に説明してから薬を処方しているつもりでしたが、一般の人たちにとっては渡部先生が懸念するように、普通のことではないのですね。あらためて我々の考えを押しつけるのではなく、ジックリと理解してもらってから治療にかからなければならないと反省しました。
現在、どうして月経が規則的に発来するのかはまだ解明されていません。月経が頻回に発来するということは、妊娠のチャンスも少なからずあるということです。30種近くいた人類のなかで、ヒトだけが生きのこった要因の一つとして多産も関係すると言われています。自然に任せておけば女性は一生に10人前後の子どもを産むように設計されています。長寿の時代、安全な方法で医療が月経の問題に介入すべきだと私は考えています。