佐野理事長ブログ カーブ

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第602回 忙酔敬語 東洋医学はアートです。

 6月に福岡で日本東洋医学学術総会が開催されました。コロナの余韻でハイブリッド形式でしたが、現地参加の先生が大多数で、3年ぶりの対面方式の学会とあって、どのセッションも会場はほぼ満席で、大いに盛りあがりました。

 初日の、がちんこシンポジウム「湯液VSエキス剤」では、伝統的な煎じ薬と製薬会社によるエキス剤の比較検討が論議されました。どっちが効くか?という議論に対して、名古屋市立大学薬学研究科教授の牧野利明先生のさめた雰囲気が印象に残りました。

 牧野先生は生薬学が専門で、『らんまん』でおなじみの牧野富太郎博士が薬学に特化したような人物ととらえるとご理解いただけるかと思います。姓は偶然にも同じですが、血縁関係はないということです。

 あの生薬を使うべきだ、イヤ、こっちの方が良い、あれっ?1800年前の『傷寒論』と現代の処方ではそもそも内容が違うぞ、同じ呼び名の生薬でも中国と日本では違うよ、やっぱりインスタントコーヒーみたいなエキス剤よりも伝統的な煎じが何倍も効果があります! 煎じだと生薬が多量に必要になるが散剤だと資源の節約になる、などケンケンガクガクと尽きない論争のなかで、牧野先生一人があきらめたような顔をされていました。

 牧野先生は、生薬の有効成分や生薬の生物学的な分類について研究されています。したがって「朮は、蒼朮と白朮を使い分けなければならない」という意見に対して、「日本で蒼朮といっているのは中国では白朮で、日本の蒼朮は中国では白朮といった具合で、生薬名は学名で表現しないと議論にもなりません」とため息まじりに言ったことがあります。

 今回のシンポジウムにも参加されていましたが、エビデンスの件になると力が抜けたような顔つきをされていました。エビデンスとは科学的な裏づけがあるのか?ということです。あの生薬とか、傷寒論とか、湯液vsエキス剤と議論しても土台になる生薬学がしっかりしていないと話になりません。私は東洋医学会で科学者と呼べるのは、ただ一人、牧野先生だけではないかと思うにいたりました。

 西洋医学は、19世紀以降、基礎医学の発展とともに着実に進歩しています。勘違いして回り道をしたことも多々ありますが、10年、20年、50年、100年と長期的な展望に立つとやはり進歩しています。かたや東洋医学、『傷寒論』・『金匱要略』から1800年もたっているのに、これといった大きな進展はありません。これじゃイカンと、いっとき私は新しい漢方処方を試みましたが、これといった成果も出せず挫折しました。鍼治療についても新しい治療穴を発見したつもりでしたが、結局、治療穴は患者さんが教えてくれるんだなあ、と最近になって気づきました。

 漢方の処方は無限といっていいほどあり、亀田医療センターの南澤潔先生は煎じも含めて400種類の処方をしています。こうなるとアートですね。南澤先生は「西洋医学だけでは満足できない人がおもな対象になる」と言っています。福岡での初日、北海道の仲間と一緒に南澤先生も含めて6人で博多名物の鳥の水炊きで食事会をしましたが、なかなかのナイスガイで、来年の東洋医学北海道支部教育講演会に招待したいな、と考えています。  東洋医学の学術講演会は、ピアノの発表会みたいなもので、他人の講演(演奏)を聴いているばかりでは進歩しません。うまくいかなかった例でもいいから(かえってこの方が勉強になります)積極的に発表して欲しいと思います。アートは深めなくちゃ・・・。