岩合光昭さんは『世界ネコ歩き』でお馴染みの動物写真家です。私はこれまで安直な仕事をしている人だなあ、とやや引いた目で見ていましたが、どうしてどうして、20年前はサバンナの大草原で家族とともに、かなり危ない仕事をしていました。この本はそれを写真とともにコンパクトにまとめたものです。まず、文庫本なのに、サバンナの雄大なパノラマがため息が出るほどの迫力で紹介されています。かと思えばライオンなどの猛獣がこんなに近づいてやばくない?というほどのどアップで撮影されています。文章は簡潔で読みやすく、岩合さんの哲学といったものが伝わってきます。岩合さん自身たいしたもんですが、同行した当時4歳の娘さんの言動が父親を上回る知性と胆力があり、すっかり感心してしまいました。以下、私が特に気に入った箇所を抜粋します。
〈セレゲンティーでは、雨は降らない。雨は「降る」のではなく「来る」。地平線の向こうから、湿った風とともに雨はやってくる。はじめはそれが不思議だったけれど、何のことはない、広いからなのだ。・・・。もうひとつ、特徴的なのが、雲の流れが局所的だということだ。「あ、あそこだけ雨が降っている!」なんていうことは、めずらしくない〉
これは広々とした石狩平野でも体験できます。3年ほど前、新川市民農園で作業していたとき、はるか北東の茨戸あたりの空に雲が分厚くかたまっていました。翌日、郷久先生が「いやあ、昨日はゴルフ中に大雨になって大変だったよ」とぼやいていました。
〈やはり娘が4歳のときのこと、チーターがトムソンガゼルの幼獣を襲うのを目撃した。チーターは30分とかからず、瞬く間にそれを食べて、後には骨と皮だけが、まるで抜け殻のように残った。ぼくは車を降りて、娘に「ほら、皮だけだよ。トムソンガゼルのお母さん、まだあそこで見てるよ。かわいそうだね」。彼女は「かわいそうだね。でもまた産みゃいいさ」。ぼくは目が点になった。そうか、また産みゃいいのか・・・〉
〈娘が小学校3年生のとき、オーストラリア・カンガルー島のヒツジの牧場に9ヵ月ほど住んだ。そのとき、ヒツジが日がな1日草を食んでいるので、ぼくは彼女に「ヒツジさんて、なにを考えているんだろうね」と尋ねた。すると娘は「草だよ。草しか見てないよ」。確かに動物は食べることしか考えていないに違いない。ぼくは思わず「深いな」と感心してしまった〉
ハイ、私も感心しました。「2回のエピソード×2で、お父さんの4倍深いな!」。
〈自然の中にある情報に対して、常に自分の感覚を研ぎ澄まさなければ、野生動物には出会えないし、何も見えてこないだろう。それはきっと、アフリカだけに限ったことではない。野生の魅力―からだが震えるような感動は、コアのところでは、アラスカにいても南極にいても、そして日本にいても同じだと思う。都会の中にいても、感じる人は感じることができる。残酷なようだけれど、感じる努力ができない人は、アフリカに行ったところで何も見えてこないに違いない〉
岩合さんは、自然体で、ありのままの動物を観察してきたため、動物が岩合さんのことをどう思っているのかを感じ取ることができました。相手が警戒していれば、それ以上近づくことはなく、それで無事にやってこられたのです。でももう年も年だし、そんなに体を張った仕事をする必要はありません。38ページに雄ライオンが寝っ転がっている写真がありますが、本当に大きなネコです。だから今はネコだけで十分なのです。