佐野理事長ブログ カーブ

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 第577回 忙酔敬語 万年筆

 北海道医師会から長年の勤務お疲れさまと、パーカーの万年筆とボールペンが1本ずつ贈られてきました。

 当院開業当初、天津大学から札幌医大に留学していた王先生という女医さんが、よく郷久理事長の手術の手伝いに来ました。王先生いわく、「中国ではカルテは万年筆で丁寧に記載することになっています」と、我々のボールペンでの殴り書きを呆れたように言っていました。悪筆の筆頭は間違いなくこの私です。

 思えば、浪人2年目のとき、やっとやる気が出て、模試などを万年筆で書いていたことがありました。その万年筆は大学合格見込み祝いとして母の友人から頂いたものでした。書き味がなめらかで、同時に私の頭もなめらかになっていたので、模試の成績も一浪のときより格段に上がりました。生物学の模試のなかには「生命活動にはどうして水が必要なのか記せ」といった、かなりハイレベルな問題がありました。そのときの成績は全国で4位でした。おかげで余裕で札幌医大に合格しました。

 医学部に入ってからは、精神科以外はろくに勉強もしなかったので成績は落第ギリギリを保っていました。最終学年の6月を過ぎたあたりから国家試験めざしてギアがトップに入りました。ただひたすら10年間の過去問を勉強しました。試験を出す側としてはそうそう変わった問題は出せません。10年前の問題は4割いくかいかないかというところでしたが、分からない点を丹念に調べているうちに、直近の3年あたりから8割くらいとれるようになりました。その後、余裕で国家試験は合格しました。

 国家試験はそのあたりからマークシート方式となり、万年筆の出番はなくなりました。その後、わが文字は崩壊への一直線となり現在にいたっています。

 これは安物のボーペンを使っているからだと、万年筆の贈呈をきっかけに、複写の必要のないときは必ず万年筆を使うこととしました。複写のときは一緒にもらったパーカーのボールペンを使っています。私の筆圧は非常に弱く、したがってカルテを書いて肩こりをするということはありません。ただし字は必然的にヘナヘナとなり、最近では自分でも何を書いているのか分からなくなり、患者さんに当時の状況を確認するしまつです。

 その点、万年筆は筆圧が弱くてもはっきりした字が書けます。おかげで事務からの問い合わせも少なくなりました。リッチな物を使うと気分もリッチになり、字を書くのが苦痛ではなくなりました。診断書もルンルン気分で書いています。

 みうらじゅんさんが、名著『正しい保健体育』で、「先生は(自分のこと)最近、3万円のデュポンのライターを買いました」と、今ではどんないきさつでそんな具合になったのか覚えていませんが、突然、自慢話をしました。続けて「100円ライターなんか使い回しするから学校の先生に注意されるんだ」と、これまたよく分からない説教をたれました。そしてコラムに「最近、煙草を吸う女性が増えていますが良いことですか?」というQに対して、Aとして「良いことです。ピロートークで俺のこと愛してるか?と訊かれて返事をしたくないときに煙草が必要なのです」と、中学生には理解しがたいお話しをされていました。実は私もピロートークの意味が分からなかったので、この本を面白いよと薦めてくれた当時19歳の長女に質問したところ、娘は顔色一つ変えずに教えてくれました。

 何だか妙な展開になりました。この辺でこの話題は終了とします。おそまつでした。