妊娠28週の初妊婦さんを検診しているときのことでした。赤ちゃんがピクンと動きました。
「こうして赤ちゃんが動くとしあわせになりませんか?」
「はい、とても」
「なかには、あまり嬉しいからできるだけお腹の中に入れときたいって、予定日になるまで生みたくないっていうお母さんもいました」
「何だか分かります」
ここでよしておけばよかったのに、ふと10年ほど前の出来事を思い出してしまいました。
「これはあまりハッピーとは言えない結末だったんですけど、やはり赤ちゃんが動いてしあわせだったというお母さんがいたんですけど、お話しききたいですか?」
「はい、ぜひききたいです」
この日は、この妊婦さんが最後の健診で時間がありました。
「妊娠2回目のお母さんでした。妊娠19週の健診で赤ちゃんの心臓に異常が見つかったので北大に紹介しました。
北大では赤ちゃんが生まれたらただちに手術が必要だと言われました。妊娠35週になったら、小児科、心臓外科、麻酔科が待機して、予定帝王切開して緊急手術すれば何とかなるかもしれないが、それでも助かる可能性は少ない、と説明されました。
お母さんは、自然分娩して赤ちゃんを抱いてあげる、という選択をしました。はたして赤ちゃんは生まれてすぐにお母さんに抱かれたまま亡くなりました。
北大での1ヵ月健診を終了した後、お母さんは当院にお礼の挨拶をしに来ました。私が顔を出すと、ニッコリして言いました。
『赤ちゃんがお腹で動いたとき、上の子のときよりも元気に蹴ってくれたので嬉しかったです。ありがとうございました』」
ここまで話したところ、妊婦さんのマスクの上の目が真っ赤になっていました。
「自分はセミの一生を思い出しました。セミは成虫になるまでのほとんどの人生?を土のなかで過ごします。アメリカでは10年以上も土のなかにいるセミもいるそうです。この赤ちゃんも日の目を見ることはほとんどありませんでしたが、お腹のなかではこんなにお母さんに愛されて、本当にあわせだったんだろうな、と思いました」
目を真っ赤にしていたお母さんは、さらにさめざめと泣きました。
かように胎内の赤ちゃんは文字どおり母児一体なので、誕生後の愛情のそそぎ方も父親とはまさに別格です。
養老孟司先生はインタビュー番組で、「母親にとって子供ははどうゆう存在ですか?」という質問に対して、そくざに「たとえ生まれた後でも子供は母親の一部です」と答えられました。当時から養老先生はもういい年なので、これを聞いたとき、キモイ!と思いましたが、そうした視点で患者さんを診ていると、なるほど、と納得させられることが多々あります。哺乳類の子にとって母親の存在は父親よりもはるかに重要です。養老先生は別にマザコンではなく、このあたりを分かりやすく説明したのだと思います。