院長ブログ カーブ

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第555回 忙酔敬語 医師と看護師

 昭和60年の4月から翌年の3月までの1年間、北見赤十字病院に赴任したときのこと。お産から癌末期の患者さんまで様々な経験をしました。ある癌末期の高齢の患者さんに看護師の娘さんがいました。娘さんは遠方に住んでいて頻繁にお母さんの様子を見ることはできません。しかし、せめて自分が滞在できる4日間はお母さんの世話をしたいと希望されたので一時的に自宅に帰ってもらいました。

 オレたち医師にはとてもできないことだな、と感心しました。医者の仕事なんてかぎられています。そう言えば幕末に適塾で多くの蘭学者や医師を育てた緒方洪庵は、弟子を叱ったことがないという優しい人で、あの生意気な福沢諭吉が病になったとき、実に献身的に看病しました。それは医師というより看護というのがふさわしい行為でした。

 医師の技能は時代によって変遷してきましたが、看護の内容は基本的に普遍です。飛行機のなかで病人がでたとき、「お客様の中でお医者様はいらっしゃいませんか?」とアナウンスされても、産婦人科医の私は名乗り出ないでしょう。だって出来ることがかぎられているからです。大手航空会社の飛行機には早産の治療薬であるリトドリンが6錠あるそうですが、そんな程度ではほとんど役にたちません。

 安倍元首相が銃撃されたとき、必死になって蘇生していたのはたまたま近くにいた若い看護師さん達でした。健気な姿に感動しました。

 まだ9か月に入ったばかりの妊婦さんが陣痛が発来したため受診しました。もう当院では管理できないと判断して手稲渓仁会病院へ救急車で搬送しました。同乗者は私と助産師Aさん。痛がる妊婦さんの状況をAさんは頻回に出血などを確認していました。かたや私はボーッとしているだけ。渓仁会病院には何とかたどり着きました。帰りのタクシーのなかで私はつぶやきました。「オレは何も出来ないバカだな・・・」。それに対してAさんはにこやかに「先生はただいてくれるだけでいいんです」と言いました。その屈託のなさにかえって複雑な気分になってしまいました。

 昨年から当院では麻酔科の豊山先生が常駐して定期の腹腔鏡の手術ができるようになりました。術者は晴朗院長で助手は水柿先生。いくら院長の腕が良いと言っても器械出しの看護師や外回りの看護師がいなければ手術は順調にいきません。チームワークがなり立って初めて手術はできるのです。

 戦国時代の名残が漂う江戸時代の初期、宮本武蔵などの剣豪が腕を競い合っていました。ある武芸者が戦場で名を上げた武将に果たし合いを挑みました。約束の場所に現れたのは馬にまたがり、小者に槍を持たせた武士でした。

 「そんな馬1頭で2人がかりとは卑怯ではないか!」

 「わしは太刀での戦はしない。騎馬での槍使いがわしのスタイルなのだ」

 これでは戦いになりません。武芸者も納得して果たし合いは止めとなりました。

 私の診療も似たようなものです。受付嬢が患者さんを案内して、看護師が予診をとり、大まかな経過を私に伝える。私はそれに乗っ取って患者さんを診て薬物治療が必要と判断したらカルテに書いて事務に回して処方箋を作成する。そして患者さんは薬局に行って薬剤師からあらためて薬の服用などの指導を受ける。

 オレはあの騎馬武者みたいなものなんだな、あらためて気づきました。