イリーナ・メジューエワ著『ショパンの名曲』(講談社現代新書)を読んでいたら、バラードはアルフレッド・コルトーがおすすめと絶賛していました。1929年と1933年の録音でほぼ90年前です。
学生のとき、平凡社の百科事典でルービンシュタインのことを調べたら、パデルフスキ以降最大のピアニストである、と絶賛していたので、それを信じ込んで現在に至っていました。最近はルービンシュタインの1949年録音のスケルツォを子守歌として、枕もとにスマホを置いて寝入っています。バラード、とくに1番は冗漫で最後の部分が何でこんなに引っぱるのかと怒りを感じるため、眠るどころではなくなり、子守歌から外しました。
ルービンシュタインは、私が学生のときも存命で、時代がかぶっていたため身近に感じていましたが、コルトーの1933年の録音と言われても、音質に対してはなっから疑問を抱いていたため、せっかくイリーナさんがすすめているのに無視していました。
最近になって、ふと、コルトーのバラードをスマホで聴いてみたら、これが絶品であることが分かりました。音は確かにレコードの雑味もまじっていましたが、曲の流れが自然でウットリと退屈することなく一気に4曲聴き終えました。私が怒りを感じた1番の最後の部分も、すんなり心に染みわたりました。ピアノの響きはルービンシュタインの方が華やかにして端正、確かに20世紀最大のピアニストと言われるだけあるのですが、コルトーの演奏は曲全体の表現が、ただショパンの楽譜を弾くのではなく、演奏者自身の自由な自己表現と感じるほどシミジミ染みいるのでした。
イリーナさんは、ノクターンについてもコルトーを押しています。バラードが4曲全部残されているのに対して、コルトーのノクターンは21曲中6曲しか残っていません。コルトーは楽譜にしばられず自由奔放に演奏していました。誰でも聴いたことのある作品9の2はショパンの曲のなかでは演奏が簡単で、実は私も学生のときから子供が小さい頃まで弾いていました。曲の流れはこう言っては恥ずかしいのですが、ルービンシュタインの真似でした。何?あの大ピアニスト、ルービンシュタインの真似だって??それ以上突っ込まないでください、だから恥ずかしいと言っているのです。どのくらい恥ずかしいかというと、自分の演奏の録音を聴くと、音がてんでバラバラで、どこがルービンシュタインだ?という代物でした。ガマが鏡で自分の姿を見て脂汗タラタラという心境でした。
長女と次女が生まれてからはピアノは弾かなくなりました。と言うか弾けなくなりました。弾いていると下から子供たちが手を伸ばして鍵盤をいじるし、いざ、子供たちにピノを習わせたら、子供の方が私よりもズーッとセンスがあることが判明し、手を引くことにしました。しかしながら子供たちのテキストを見ると素敵な曲ばかりで羨ましくなりました。私の時代は、バイエル、ツェルニー、ハノンが中心で、別にピアニストになるわけではないので、ただただ弾いていて楽しくなるような曲を習いたかったな、と思っています。ちゃんと基礎を学ばなければショパンなんてダメですよ、と言われるかもしれませんが、「子犬のワルツ」を根気よく弾いていれば自然に音階練習にもなるはずです。
デザイナーのコシノジュンコさんは80歳を過ぎてからピアノに挑戦しました。基礎から習うのはイヤだからと、いきなり難曲「英雄ポロネーズ」に挑んだそうです。天才は何をやってもOKなんですね。私はガマの油のため、なりをひそめています。