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第545回 忙酔敬語 大関が負け越すのは悪いことか?

 大相撲五月場所は満身創痍の照ノ富士が12勝3敗で優勝しましたが、3人の大関は貴景勝が8勝7敗で何とか勝ち越し、正代と御嶽海は負け越しました。

 これに対して朝日新聞は、3大関 ふがいなさは「いつも通り」、讀賣新聞は、3大関V争い絡めず、とケチョンケチョンでした。

 さらに讀賣新聞は、「特別な地位」誇り感じぬ〈大関は2場所連続で負け越さない限り、地位を追われることはない。極論すれば15勝全敗と8勝7敗を繰り返しても、番付を保てるシステムだ〉と憎しみまで感じさせるコメントを書いていました。

 ここまで言うか?と弱い大関たちが気の毒になりました。若者たちは気合いが入っていないわけではありません。たまたま小結・関脇時代に好成績が続いたため大関になっただけで、その後、好成績を維持することは至難の業だと考えるのが普通です。「特別な地位」に誇りを感じても体調が悪ければどうしようもありません。

 こういった精神論は戦前・戦中の日本の気分と何ら変わりありません。あの大戦は政治の中枢部だけではなく、マスコミのあおり立てもあり、日本全体がそんな空気に包まれてしまったのでないかと私は考えています。戦犯の筆頭とされる東条英機でさえ、アメリカと戦えば負けると予想していたそうです。日本の場合、「空気」はまさに魔物です。

 大関が無気力と言われた時代が過去にもありました。昭和47年の前の山VS琴櫻で、前の山の張り手で琴櫻も張った当人の前の山もほとんど同時に土俵の中にひっくり返り、その写真が新聞に掲載されて「無気力相撲」と批判されました。前の山はその後間もなく引退しましたが、「無気力」相手の琴櫻は奮起して横綱になりました。ここで「奮起して」と精神論的な言葉を使ってしまいましたが、アブナイアブナイ、私もやっぱり日本人です。

 私は猛牛に例えられた琴櫻の押し相撲が好きでした。当時からプレーボーイとして知られた横綱北の富士を下から突き上げて土俵の真ん中にひっくり返した一番は、今でも自分の相撲史でもっとも輝いています。

 その後は、引退して佐渡ヶ嶽親方になってからは、さらに「無気力」事件は忘れ去られました。熱心な勧誘で琴風、琴欧洲、琴奨菊など多くの「琴」のつく関取を育て上げました。私個人としては嫋やかな「琴」は相撲取りにはふさわしくないと感じていますが、これも部屋の伝統ですから、これ以上とやかく言いません。

 親方が「無気力」と反対側にいたんだなと感じたのは、新弟子を育てるというテーマでインタビューを受けた時のことでした。勧誘した若者の大半は相撲に馴染めず去って行きます。その原因となるトップは足の裏の分厚い皮が、土俵ですれて剥がれてしまうということでした。ここで新しい皮が再生するまで我慢すれば何とかなったんですがね、と親方は残念そうに言っていました。怪我防止のための股割がキツイことはハワイから来た高見山で知っていましたが、足の皮が全部剥けるだなんて知りませんでした。ゾッとしますね。

 全敗と8勝7敗を繰り返せば大関は維持できると讀賣新聞は書いていましたが、こんな器用なことができた例しはありません。元大関の高安と栃の心は大したものです。幕の内にいること自体、この世界では成功者の証です。

 無用な精神論は差別にもつながります。心身症やうつ病の患者さんを診ていると、不寛容な世の中に住んでいてさぞ生きにくかろう、とつくづく心配になるのであります。