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第544回 忙酔敬語 張仲景の心

 張仲景は漢方の古典『傷寒論』・『金匱要略』の著者として知れられています。書かれたのは1800年前で、いわゆる『三国志』の時代です。『三国志』には曹操に逆らって殺された伝説の名医・華佗についての記載はありますが張仲景は登場しません。

 そもそも中国では、老子の言葉「心を労する者は人を治め、力を労する者は人に治められる」にあるように、政治家や役人あるいは文人が偉く、労働者は尊敬されませんでした。医者も単なる技術者とみなされ、「力を労する」部類としてくくられたため、華佗の自尊心は傷ついたようです。華佗の場合はたまたま曹操と関係を持ったために史書に掲載されました。それに対して張仲景は歴史に残るような人を相手にすることが少なかったのか、史書には登場しませんが医学書を書き残しました。

 なんせ『傷寒論』や『金匱要略』は東洋医学のバイブル的な存在なので、一生かかってでもこれらを読みこなそうとしている研究者は少なくありません。でもね、と私は思います。1800年何前の書物が必ずしも正確に伝えられているかは疑問です。時の皇帝によって使用できる字に制限がありました。どれどれの処方はこの病気を「治す」と書きたくても時の皇帝が「順治帝」だったら恐れ多くて「治」は使えないので、どれどれの処方はこれを「主(つかさど)る」と書かなければなりませんでした。唐の李世民が皇帝になってからは大変でした。「世」とか「民」は使用される頻度が高いため、「世」の代わりに「代」、「民」の代わりに「人」が300年に渡って使われることになりました。李世民もまさか自分が皇帝になって多大な迷惑をかけることになるとは思ってもみなかったでしょう。

 中国から見ると東の辺境の野蛮なわが国は、昭和天皇のお名前が「裕仁」なのに、平気で「祐子」や「仁美」と役所に届けても死刑にもならずノンビリしたのもでした。

 『金匱要略』には「温経湯」の記載がありますが、私は何かの間違いではないかと考えています。「温経」は経絡を温めるという効能を示しています。『金匱要略』に掲載されている方剤のほとんどは「桂枝茯苓丸」とか「当帰芍薬散」のように構成生薬の主薬から命名されています。効能を方剤名にしているのは後の時代以降の書物に記載されていて、『万病回春』の血の巡りを導く「通導散」などがあります。「温経湯」は後世の人が間違って『金匱要略』に入れてしまったとしか思えません。おそらく多くの手入れがなされた明時代にまぎれ込んだのでしょう。このように突っ込みどころ満載の『金匱要略』ですが、記載されている方剤は現在でも通用します。

 20世紀以前の西洋薬はほとんどが男性を対象としていましたが、『金匱要略』には女性や妊産婦のための方剤が多数掲載されています。それらの多くは現在でもエキス剤として保険適応になっているので重宝しています。

 私が個人的に張仲景に親近感を抱いたのは、薬も飲めないような重症例にも必死に対応したことです。

 〈朝、首を吊って、夕方まで放ってあった者は、冷たくなっていても助かる。夕方、首を括って、朝になった者は治りにくい。・・・・・・・・。日射病で死んだ者は冷やしてはいけない。冷やすと本当に死んでしまう。草を曲げて作った帯を臍のまわりに巡らせて、その中に2、3人で小便をして温める。〉  

 荒唐無稽ですがなかなかギブアップしないところが見事と言うほかありません。