もういつ産んでもOKの経産婦さんが言いました。
「お腹の中で赤ちゃんが動いてくれると嬉しいので、できたら予定日まで一緒にいたいです」
ふつう、もう苦しいから早く産ませてください、と言われることが多いので大いに感服してしまいました。そして10年近く前のことを思い出しました。
その妊婦さんも2回目の妊娠でした。妊娠19週の妊婦健診で赤ちゃんの心臓に問題があることが発覚。北大病院へ紹介しました。北大病院では妊娠35週あたりで小児科と心臓外科立ち会いのもとで計画帝王切開すれば何とかなるかもしれないが何とかなる確率は低いと言われました。ふつうならここで妊娠の継続をあきらめるところですが、お母さんは自然分娩をして場合によっては抱っこしながら赤ちゃんを看取りたいと希望しました。予想どおり赤ちゃんはお母さんの腕のなかで亡くなりました。
北大での1か月健診も終わり、体調が回復したお母さんは当院にお礼の挨拶をしにいらしてくださいました。
「お腹のなかで赤ちゃんが動いたとき、上の子よりも強く蹴ってくれたので幸せでした」
生まれた赤ちゃんに対する愛情はすでに妊娠中からつちかわされるものなんだなあ、と思ったことでした。男にはとうてい体験できないことです。
現在、少子化の時代とされていますが、一般的に(あくまでも一般的にですよ)女性はできれば何人でも赤ちゃんを産みたいと思うそうです。子供がヨチヨチと歩き出したとき、「膝が寂しくなった」とご主人にグチったところ、「お前、きりがないぞ」とストップをかけられた人もいます。
このように母性は女性の本能とされがちですが、なかには赤ちゃんに愛情が持てないというケースもあります。最近、注目されてきたボンディング障害です。赤ちゃんをほとんど見たことはなく、もちろんオシメの交換などしたことはないという女性に多いようです。動物園で飼育されているオランウータンなどの類人猿では、子育てを学習したことがない母親が育児放棄することが報告されています。人間の場合も、母性は学習によって育まれるようです。もちろん個体差はあり、幼児期から赤ちゃん大好き女児もいれば下の子が生まれたときに心がブレる子もいます。でも不思議なことに女児はお人形さん遊びが好きで男児は車のオモチャに興味を示します。チンパンジーにも同様な傾向があるとNHKのテレビ番組で紹介されました。幼少期は男女とも性ホルモンに違いはありません。
性医学の大家である熊本悦朗先生は、NHKの取材に応じて「人間の性を決定するのは大脳である」との名言を残しています。30年以上も前のことですが、性的マイノリティーが注目されるようになった現在になって、あらためて「なるほどな」と納得させられる言葉です。人間だけでなくイルカにも性的マイノリティーの存在が発見されていて、性ホルモン云々ではかたづけられそうもないケースがあるのは事実です。
子宮筋腫の治療として卵巣の働きを抑える注射をしている患者さんに「最近、性欲がなくなってパートナーに応えることができなくなった」と相談されました。さいわい筋腫は小さくなり出血もないので、とりあえず治療は中止しました。やはり、ホルモンも愛には大切なんだなと再認識しました。そう、愛は一言ですまされない部分が多いのです。