「もし、地球が明日、巨大隕石か何かで滅ぶことになって、今日の晩ご飯が最後の食事になるとすれば何が食べたい?」
ヒマつぶしとしてよく出てくる話題です。
ふつうは自分の好物をあげるでしょうね。私は蕎麦、それも精製していない田舎蕎麦の大盛りですが、これはたまに篠路にある10割蕎麦「なみ喜」で堪能しているので、最後の晩餐からははずします。木綿豆腐にそのままお醤油をかけて食べるのも好きですが、これもいつでもできるので、やはりメニューからはずします。
質問自体がバカバカしいので、ふつうでは食べられない物を考えてみました。どうふつうでないかというと、今では手に入らない物だからです。お金の問題ではなく、空間的・時間的問題です。したがって単なる思い出話になります。
まずは円山にあったお年寄り夫婦が営んでいた小さなお餅屋さんの黒豆大福。開店してお昼までに売り切れてしまうほどの知る人ぞ知る絶品でした。
当時の私は基本的に甘い物はダメでしたが、ここの黒豆大福は別。粒餡の甘さ加減といい、黒豆の歯ごたえといい、お餅のもっちり感といい、夜、寝床で小腹がすいたとき、「ああ、あの黒豆大福を5個でも6個でも食べたい!」と身もだえするほどでした。
やっと買えたと喜んでもモタモタしていると、すぐにお餅が硬くなってくるので買ったらすぐに食べなければなりません。夜に食べたいからと取って置くと、本当にカチカチになって歯が立たなくなることもありました。電子レンジかトースターでチンすれば良いじゃないかと言われそうですが、かえって乾燥しそうでそんな事はしませんでした。
それでは最後の晩餐には無理ではないかと、また突っ込まれそうそうですが、どうせバカバカしい設定なので、いっそのこと食べる直前にあの世からお餅屋さんに来てもらって、その場で作ってもらうことにします。小さなお餅屋さんは高齢のため、平成になって間もなく閉店しました。二度と味わえないので思い出の評価は高まるばかりです。
2つ目は函館のカール・レイモンのソーセージ。現在流通している函館カール・レイモンは日本ハム関係がからんでいるブランド標品ですが、私が食べたいのは初代カール・レイモンおじさんが自ら作っていた本場もんのソーセージです。
私が中学生の頃、父は北海製罐の釧路工場と函館工場の2つの工場長を務めていました。会社員としては父の絶頂期でした。自宅は釧路でしたが、函館に出張したときのお土産がカール・レイモンのソーセージでした。燻入りは浅く、そのかわり塩気がたっぷりで、これ1本でご飯が1膳かるくいけるほどでした。塩気たっぷりでも添加物がないので冷蔵庫に入れても1日過ぎると酸っぱくなってきました。それまでソーセージは単なる保存食だと思っていましたが、立派なご馳走なんだと気づきました。
ちょうどその頃、少年少女世界名作全集で『くるみ割り人形』を読みました。あらすじは複雑でおおかた忘れてしまいましたが、ある国の王様が宴会料理として「ソーセージが食べたい!」と言います。そこで王妃様がソーセージを作りますが、ネズミにせがまれて脂身をやってしまいました。翌日の宴会でソーセージを1口食べた王様は「脂身が足りないよー」と言って泣き出し、それがもとでネズミたちと戦争を始めることになりました。
ソーセージ1本でもこんな思い出があるのです。これももう食べることはできません。