院長ブログ カーブ

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第502回 忙酔敬語 新ジャガがを食べる

 春たけなわの頃、新川の市民農園に4種類のジャガイモの種芋を植えました。黄色2種類とサツマイモ色1種類、皮が黒で中が紫の1種類です。この夏は札幌観測史上最悪の日照りで雑草も生えない状況でしたが、ジャガイモは青々と葉を繁らせました。7月末にはジャガイモの一部が地面に現れ、お盆のあたりで日照りのピークが過ぎた頃、ジャガイモの葉が枯れ始めたので、大雨が降る前にと収穫することにしました。ほぼ掘り終わったとき、私たちの様子をチラチラと見ていた斜めとなりのオジサンが(といっても私よりも若いと思われます)が言いました。「ジャガイモは10月が摂り頃ですよ」

 それ、もっと早く言ってよ! 週明けに実家が農家をやっている助産師Tさんに確認したところ、「葉の一部ではなく、全部枯れた頃が収穫時期です」と裏が取れました。

 でも、採れたジャガイモの一部はすでに芽を出し始めていました。ニュースでは「今年の新ジャガは不作だ」と報道され、さらにネットで「新ジャガ」を検索したところ、7月頃から北海道で収穫されるジャガイモが新ジャガであるみたいなことが書かれていました。まあ、いつ採ってもいいし、あつかいやすい農作物なんだな、というのが結論です。

 たくましいジャガイモは南米が原産地で、ヨーロッパ人を介してユーラシア大陸などに広まりました。おかげで穀物が採れなく飢え死に寸前の多くの人びとが救われました。そのためジャガイモに寄りかかってしまったアイルランドでジャガイモの疫病が流行したとき、100万人以上の餓死者が出ました。昔、学会でアイルランドのダブリンに行ったとき、その貧しさはいまだに続いているようで、ホームレスの男性に小銭をせがまれました。レストランではパンの代わりに大量のフライドポテトが提供され辟易しました。

 アムステルダムの学会に参加したおりゴッホ美術館に行きました。そこのめだまは美術の教科書で見たことのある「馬鈴薯を食べる人びと」でした。貧しい一家がランプの下でジャガイモを食べています。英語の題名は「The Potato Eaters」。そのまんまです。日本語の方が微妙な風情が表現されているように感じました。一家の貧しさには救いようのない雰囲気が漂っていて、絵の値段は当院の建築費以上するかも知れませんが、もらっても飾る場所はなさそうです。ただ存在感は半端じゃなく、いまだに迫力がよみがえります。

 段ボール2個分の3色の新ジャガ。自分がポテトイーターになりました。新ジャガの皮は薄いので、包丁で剥かなくても茹でただけでスプーンで潰しながら取り除くことができます。ジャガイモの皮は芽とともに有毒とされていますが、新ジャガは薄いので食べても大丈夫とのこと。しかし、残った皮を口にするとピリピリして少しは毒がありそうでした。

 最初の料理はアイリッシュシチュー風に(ただ水で煮るだけ)お中元の350gのハムの塊を一口大に切って、デカイ新ジャガ4個と煮込みました。煮込むこと30分、どんぶり3杯分のシチューができあがりました。「俺1人で食いきれるかな?」と不安がよぎりましたが、ハムの塩味だけでスープもちょうど良い味となっていて完食しました。

 茹でただけの新ジャガにサバ味噌煮込み缶を1缶ぶっかけてみましたが、味噌煮の甘みがジャマで残念でした。ただの水煮缶の方がマシで、さらにバターを足すと良さそうです。

 小腹がすいたとき、卵大の小さなジャガイモ、黄色2個、サツマイモ色2個、紫2個、計6個そのまま茹でただけでバターも付けずに食べましたが、これが一番美味かった。

 いずれの方法でも「食い過ぎた」という罪悪感がないのが新ジャガの良いところです。