院長ブログ カーブ

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第490回 忙酔敬語 公衆電話とポケベル

 ケータイ、スマホの普及にともない、公衆電話の撤去に加速がかかってきました。たまに電話ボックスを見かけても利用されることがめったにないのか、うらぶれた感じが漂っています。昔、お世話になった者としては、別に謝る必要はないのに「放って置いてすまなかった」と心の中でつぶやいてしまうこともあります。

 医療従事者にとって公衆電話とポケベルはセットでした。北見赤十字病院にいたとき、小児科医が「電話がないところでポケベルが鳴るとパニクっちゃいます」と言っていました。オレもパニクりはしないけどその気持ち分かる分かる、といたく同情したものです。

 日赤時代(昭和60年)から当院に赴任してからしばらくの間、やく20年近く早朝ジョギングにハマってました。ポケベルに10円玉と100円玉を1枚ずつしのばせて走りました。その頃は200~300mの間隔で公衆電話が設置されていたので、ポケベルが鳴ればただちに連絡できるようにどこに公衆電話があるかチェックしていました。さいわい、ジョギング中にポケベルが鳴ることはありませんでした。ポケベルは、現在のスマホよりもはるかに軽いので走る分にはラクチンで良かったなあと思います。

 昭和62年4月から翌年の3月まで赴任した道立江差病院は、檜山支庁があるのに地形的要因からか電波が届かずポケベルは使えませんでした。今では考えられませんが分娩をあつかっているのに産婦人科医はふだんは私1人なので、外出するときは必ず「どこそこにいるからな」と電話しました。どこそこに着いたら今度は「どこそこからどこそこに移動するから」とか、家に着いたら「これからは自宅にいるから」と一々連絡しました。 

 お産の数は一月に20件ちょっとで重症患者さんもいないので自宅以外から病院へ駆けつけたという記憶は一度しかありません。歯科で治療を受けている最中に「もうすぐお産です」と歯科クリニックに電話がかかって来ましたが、歯医者さんは「もうすぐ終わるから」と言うので治療を終えてから分娩室へ直行。何とか間に合いました。

 家の近くのスーパーに行ったところ、店内放送で「町立病院の佐野先生、至急、病院へ連絡ください」と呼ばれたことがありました。ちょっとした買い物なので病院には連絡しませんでしたが、詰め所のスタッフは家に電話しないでスーパーの呼び出しに電話したとのこと。「よく分かったな」と感心すると「何となく分かりました」と言う返事。誰が見張ってたんだろう? 私生活はほとんどなし。でものどかな時代でした。

 私の所持していたポケベルは病院からのみの一方通行でしたが、若い連中は着信番号で「14106」=「アイシテル(愛してる)」とか「724106」=「ナニシテル(何してる?)」と巧みに繋がっていました。個人的な繋がりに淡白な私には無縁の方法でした。平成10年以降はケータイの時代になり、ポケベルは絶滅危惧種となり、秒殺で消滅しました。同時に公衆電話もどんどん数を減らしていきました。時代についていくのが苦手な私はケータイの歯切れの悪い音声に馴染めず、できるだけ固定電話を利用しました。若者はケータイでさかんにメールするようになりましたが、入力は基本カタカナでした。私はローマ字入力しかできなかったので、スマホを所有してからやっとメールやメッセージを送れるようになりました。しかし、縛りつけら感が増してきました。

 便利な世の中になりましたが、オンコールでないときもスマホは近くに置いています。公衆電話の時代でも何とかなったのになあ、と今では懐かしく思っています。