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第489回 忙酔敬語 高島先生と向田さん

 4月5日、高島俊男先生が84歳で亡くなりました。中国文学がご専門で、漢文(文語)、白話(口語文)、現代語すべて完璧でした。書かれた多数の本のほとんどは一般向けです。

 私がとくに好きなのは『中国の大盗賊』と『三国志きらめく群像』です。徹底的に文献を読み込んで綿密に書かれていますが関西人らしいユーモアが散りばめられていて、「三国志」関係でこんなに笑わせる本は他にはありません。笑いを省けば立派な学術書です。

 週間文春に連載された『お言葉ですが・・・』で、先生は各大新聞の間違い言葉を見つけては辛辣に批判しました。それらをまとめた文庫本の第5巻が廃版になっていたので古本を手に入れたら、『声を出して読みたい日本語』で四六(シロク)のガマをヨンロクとフリガナを振っているのを見て「そんな浅薄な知識で、あつかましく・・・」とバッサリ切り捨てた箇所がありました。これでは廃版になるはずです。文春との関係性も悪くなり、とうとう文春での出版は打ち切られ、その後は連合出版からの出版となりました。先生ご自身はどうもその辺のいきさつについては気づいていないようで、まさに仙人のような方でした。高島先生を高く評価していた丸谷才一さんは「奇人だ」と言っていました。

 そんな堅物の先生お気に入りの作家が向田邦子さんでした。さるご婦人に「先生、初老と言われたらご不満ですか?」と聞かれ、当時、六十過ぎの先生は「初老は四十歳に決まっとるだろうが!」と憤慨しましたが、向田さんの文章で、五十くらいの男が初老と表現されているのを読んで、すなおに「当時はすでに初老は四十から五十になってたんだ、すると今では六十か、いずれは七十になるに違いない」と述べていました。向田さんはすでに51歳で他界していましたが、ちょっとした美人でした。高島先生よりも七学年上でしたが、先生は知的美人に弱く、『メルヘン誕生』という向田さんの言葉と文章を微に入り細に入り分析した本を出しました。ただし初老四十歳説は曲げていませんでした。

 嫌われ者の高島先生と違って、亡くなってから40年たつのに向田さんの人気は衰えず、最近、向田さんをしのぶ本が文庫本で2冊ほど出版されました。

 向田さん脚本のドラマ『七人の孫』を見たのは小学六年生のときでした。毎週、家族全員で笑いながら見ました。主演の森繁久弥さんはもとより押しも押されもせぬ大俳優でしたが、お手伝い役の若き悠木千帆さん(後の樹木希林)の存在感が光っていました。

 学生のとき、たまたま「オール読み物」で小説『あ・うん』を読んで、そのうまさに舌を巻きました。向田さん自身の脚本で『あ・うん』はドラマ化され、NHKで放映されました。物語はサラリーマンの仙吉(フランキー堺)と妻のたみ(吉村美子)、仙吉の親友で成金の門倉(杉村直樹)の交流が軸となっています。門倉はたみに淡い恋心を抱いていて、仙吉もたみもそれに気づいていますが大人のつき合いをしています。ある日、門倉は法外なお土産を持って来て、たみにたしなめられます。その時の杉浦さんの、好きな女性に叱られて、半分嬉しく半分残念といった恍惚とした表情が絶品でした。高倉健(門倉役)主演で映画化もされましたが、不器用な健さんには無理な注文でした。

 そのあたりで向田さんは絶頂期に達していましたが飛行機事故で突然の死去。昭和4年生まれで私の母と同じ年齢です。生きていれば92歳ですが五十過ぎでストップ。

 以前は向田さんの業績をただただ感心するばかりでしたが、今の私の年齢になると、やり残した事がたくさんあったろう向田さんが可愛そうで仕方なくなりました。