院長ブログ カーブ

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第462回 忙酔敬語 もう無理、無理

 妊婦健診に来た初妊婦さんが言いました。

 「午前中、友だちからここでお産したってメールが来ました」

 「ああ、あの人ね、もう無理、無理って言いながら立派なお産でしたよ」

 「それ、彼女の口癖です!」

 何だか可笑しくなりマスク越しに目を合わせて一緒に笑ってしまいました。

 その彼女、ちょっとかわいそうでした。

 コロナのため夫が付き添うのは分娩間近になってからとしていました。となりの分娩台ではあとから来た経産婦さんがそのままお産の準備となり、ウーン、ウーンと息む声がモロに聞こえていました。本人ももちろん痛い。トンビ座りに坐って顔をしかめていました。お隣さんの息む声で不安がつのったことでしょう。まだ夜勤の態勢なのでスタッフは初産婦さんには手が回りません。仕切りのカーテンを少し開けて「もうすぐアナタの番だからね、待っててね」と声をかけましたが、ニコリともしませんでした。

 経産婦さんはまもなく無事出産。そのうち、日勤のスタッフが続々と登場。初産婦さんはすでに子宮口は全開して赤ちゃんの頭もそこまで来ていました。ご主人も来て立ち会いOKとなりましたが、緊張で疲れたせいか陣痛の勢いがなくなりました。お二人の承諾を得て陣痛強化薬の点滴を開始しました。まもなく赤ちゃんの頭が見え隠れするようになりました。※現在、夫立ち会い分娩そのものが中止となっています。

 「もうすぐですよ、頑張ってね」

 助産師Aさんがやさしく励ましました。

 「もう無理、無理!」

 「大丈夫、もう赤ちゃんの頭が出てきますよ、息まなくてもいいですよ」

 「無理、無理!」

 「はい、頭が出ました、あとは体が出るだけですからね」

 「もう無理、無理!」

 みごとに大きな赤ちゃんが生まれました。よく頑張りました。

 初産なのに傷はかすり傷程度。

 「麻酔は痛いし、もう無理無理だから軟膏だけにしましょうね」

 お母さんの顔はやっとなごみました。

 「その無理無理って良い言葉ですね。これからの人生、いろいろイヤなことがあるかもしれないけど、無理無理で安請け合いしなくてすむから便利ですよ」

 鎌田實先生の『がんばらない』というベストセラーの本があります。実は私、読んだことはありませんが、この無理無理を会得していればいいのではないかと思いました。午後の回診では、無理無理のお母さんは嬉しそうに赤ちゃんを抱っこしていました。

 「無理無理が気に入ったので、ブログに書いたり患者さんを励ますのに使ったりしてみたいけど良いですか?」

 翌日の外来で、更年期がらみのキャリアウーマンが受診しました。有能なのでいろいろオファーが来て疲労困憊していました。「もう無理無理」について話したら「勉強になりました」とニッコリ笑って帰って行きました。