佐野理事長ブログ カーブ

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第458回 忙酔敬語 歩きながら考えた。

 どしゃ降りの雨でなければ通勤は基本的に歩きです。片道3.5㎞、以前だったら40分くらいの早歩きでしたが、夏場は汗をかきたくないので50分、今は体力に合わせて45分くらいのマイペース。今年はコロナのためか早朝ウォーキングをする人が増えて、私一人で独占していたJR学園都市線沿いの遊歩道がシェアする状態となっています。もっとも遊歩道は屯田防風林でストップ、屯田に入ってからは私一人なので良い気分です。

 屯田の人たちはお花作りが上手で、各家の庭に咲いている季節の花が気分をもりあげてくれます。それぞれの花がいつどこで咲くかは、ほぼインプットしています。チューリップやコスモスなどの多年草は、とくに手入れをしているようには見えないのに、毎年、同じ所で咲きほこります。コスモスは庭からはみ出て、家の前の歩道にもたくましく咲きます。これらの花々を見て考えました。生物は自分に適した場所に住む! 当たり前のことですが、これは人間の暮らしについても言えることです。心療内科の患者さんを診ていると、皆さん無理をして生きています。「漢方で何とかなりませんか?」と言われますが、生活を根本から見直さないと、ただダラダラと長期にわたった処方が続くだけです。

 この2,3年、進化とは何か?と考えています。進化というと、原始的な生物から知能や運動能力が発達した生物への進歩と一般的に受け止められていますが、それは間違いです。その環境に適応した生物がそのつど繁栄しているだけです。

 5億年前、多様な生物が一度に(と言っても数千万年かかっています)出現しました。カンブリア爆発と呼ばれています。その後、地球の変化にともない何回かの大絶滅をくり返して2億年前に恐竜の時代が到来しました。脊椎動物に関してはこの恐竜で完成形に達しました。鳥類や哺乳類は恐竜より上でも下でもありません。植物も恐竜時代に裸子植物やさらには花咲く被子植物が出現して草食恐竜たちの糧となりました。動物も植物もべつに偉くなったわけではなく、ただその時代の環境に適応した種が現れただけです。

 人類は進化の頂点と勘違いしている人が多いようですが、産婦人科医から見るだけでも問題点はいろいろあります。月経は本人が望んでいるわけでもないのに、ほぼ毎月、周期的にやって来ます。次世代を作るための準備ですが、毎月来る必要はなく無駄なことです。生理痛や月経前症候群などで苦しんでいる女性たちを診ると、つくづく神様も罪なことをしてくれたものだと気の毒に思います。

 生物は自分に適した生息域、すなわちニッチで繁殖します。ニッチとはもともと隙間を意味します。どこか隙間(ニッチ)ができると、よほどのことがないかぎり何らかの生物が住み着きます。スヒルトハウゼン著・岸、小宮訳『都市で進化する生物たち』にも「ニッチが進化の鍵」という章があります。札幌の郊外の屯田という地域でも、その年によって鳥や昆虫の出現する頻度が違います。気温や雨量も大きく関与しているようです。今年はチョウチョが少なく感じました。ということは被子植物にとって大切な受粉する機会が減り、植物の生態にも変化が現れるかもしれません。生物はセットで生きています。もちろん人間も生かされています。どうあがいても未来永劫まで繁栄する保障などありません。

 今年は人類の隙間、すなわちニッチに新コロナが入り込んで来ました。ウィルスのターンオーバーは他の生物よりも圧倒的に早いので、やれワクチンだと騒いでいるうちにどんどん変化しそうです。ほっとく以外に根本的な方法はないと私は考えています。