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第454回 忙酔敬語 日本人は戦争に懲りたのか?

 二見龍著『自衛隊は市街戦を戦えるか』(新潮新書)を手にとって驚いたのは、二見氏が旧日本軍の戦車兵だったお父上の勧めで防衛大学校へ入校したということでした。

 旧日本軍の戦車に対する評価はまちまちです。国民的作家の司馬遼太郎さんも戦車兵でした。司馬さんはあくまでも作家で歴史学者ではありませんが、歴史を題材にした膨大な小説のため、多くの人が司馬さんの小説が歴史的事実と勘違いしているようです。

 その司馬さんの旧日本軍の戦車に関する評価も良いんだか悪いんだか分かりません。司馬さんは日本の戦車はすみずみまで丁寧に作られているが、速度や戦車砲の口径ではソ連製にはかなわなかったと言っています。また、戦車作りはコストがかかり1両あたり戦闘機10機分かかったそうです。こんな戦車部隊にいたのでは二見氏のお父上は、もう戦争はゴメンだ、と思われたはずですが、息子に防衛大学に入るように勧めました。

 司馬さんは戦争するくらいなら始めからマイッタを表明し、征服される覚悟をするのが大人の判断だと言っていましたが、二見氏のお父上は正しく戦うためのノウハウを学ばせるために息子に防衛大を勧めたように思われます。

 もと自衛隊幹部の二見氏は、いまだに「突撃」の訓練をしている自衛隊に呆れはてています。これからの戦争は総力戦ではなく、ハイテクを駆使したサーバー攻撃やテロやゲリラ対策の市街戦になると予想しています。高価な戦闘機やイージス艦を買うよりも、下士官のレベルを鍛える方が実際的だと述べています。また銃口を味方の方に平気で向けるような隊員が後をたたないことを憂えています。今の自衛隊は「井の中の蛙」で他国の兵器や兵力に関する調査も不十分だそうです。中国の兵書『孫子』の「彼を知りて、おのれを知れば百戦あやうからず」からほど遠い思想で管理されているのが自衛隊の現状です。

 戦争を知らない世代が増えている、とマスコミは騒いでいますが、戦争を体験した大人が大勢いた私の子どもの時分、少年雑誌にはゼロ戦や戦艦大和などの旧日本軍の戦闘能力がいかに高かったとか、ゼロ戦以後の戦闘機の解説などが連載されていました。大人たちもマレー沖海戦で止めとけば勝ったかもしれないなどとバカな話で居酒屋で盛り上がっていました。どうも戦争に懲りていないようでした。大戦当初、東南アジアでは日本軍が優勢で、イギリスの部隊をまとめて捕虜にしたことがあり、戦後に名画『戦場にかける橋』が制作されました。そのなかで捕虜のニコルソン大佐が、収容所所長の斉藤大佐に「私は軍隊が好きだ」と熱く語るシーンがあります。イギリス人も懲りていないようでした。

 実際に兵役を経験した大人たちも懲りていない人がいました。私の父もその一人で、軍隊式の訓練を私の教育に取り入れ非常に迷惑でした。ご飯に味噌汁をかける、いわゆる猫マンマをすると「そんなことを軍隊でしたらぶん殴られるぞ」と脅したり、軍人勅諭の「軍人」を「生徒」に置き換えて暗唱させたりしました。そんなに軍隊が良かったのかと不思議に思います。上官に恵まれていたのかもしれません。父は敗戦後、ソ連に抑留され、シベリアで生きるか死ぬかの4年間を体験しました。収容所で食べた黒パンが懐かしくなり、ライ麦100%の本物の黒パンを買ってきてマーマレードを厚く塗って旨そうに食べていました。私もボソボソで酸っぱい黒パンを食べて、はじめてアルプスの少女ハイジがお婆ちゃんのために白パンを隠し持った理由が理解できました。もちろん黒パンは胡桃沢耕史著『黒パン俘虜記』にあるように、ほとんどの日本人捕虜に嫌われていました。