佐野理事長ブログ カーブ

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第443回 忙酔敬語 眼鏡はどこだ?

 父からの遺伝のため幼少より近視で、そのためか目つきが悪く、伯父さん(父の弟)が母に「善人の目ではないね」と言ったそうです。母から聞かされたときはヒドイ!といたく傷つきましたが、今となっては何となく当たっているような気もします。

 中学生になるまではクラスの中では背丈が高かったため、一番後ろの席に坐らせられました。小学1年生のときは黒板の字は大きかったのですが、2年、3年になるにつれ先生の書く字は小さくなり近目の少年にとってつらくなりました。当然、目つきもますます悪くなったはずです。とうとう眼鏡をかけることになりました。

 当時、子供らは外で遊ぶことが多く、近視の子はマレでした。イジメはいつの時代でもあり、残酷な同級生は「やーい、メガネザル」とあざけりました。

 眼鏡をかけても縦の線はよく見えるのに横の線はボンヤリ。算数の時間に悪影響が出ました。「-」と「=」の区別がつかないのです。顔を横にして黒板をにらみつけました。のちに乱視と判明しました。これも優性遺伝だそうです。

 さらに左右の視力に差があって、右眼が左目の5分の1程度でした。おまけに利き目が弱い方の右目という容赦ない試練が重なりました。利き目の見分け方は、遠くにあるある物を両目で見て指をさし、その後、片目で見てその指が重なっていれば、その目が利き目となります。一般的に視力が良い方の目が利き目になる割合が高いのですが、わたしの場合は逆。性格も変になるよ・・・。 

 最近は眼鏡を作るのは検査器機の性能アップのためラクになりましたが、子供の頃は大ごとでした。レンズを回転させて、「どっちが見えますか?」と言われてもなかなかピンとこなく、結局とんでもない眼鏡を1年間かけ続けたこともありました。

 乱視や視力に左右差がある場合、ハードコンタクトが最適です。はじめてコンタクトを入れたとき、「世の中ってこんなにハッキリ見えるもんなのか!」と感動しました。鏡に映った自分の顔の毛穴に「オレってこんなに汚いのか!」とドン引きました。しかし、コンタクトは目の異和感で8時間くらいが限度で1,2年でギブアップしました。その不快感はしぶとく夢の中にも登場しました。とにかく体にピッタリくっつく物はイヤ、結婚指輪もイヤで、はなっから作りませんでした。腕時計もイヤ、スマホですませています。

 四十代の半ばには老眼も仲間に加わりました。はじめは手術にはさしつかえのない程度でしたが、抜糸するとき糸がはっきり見えない。そこで学生時代、眼科の講師陣の中で1、2番目に授業が面白かった小野先生が開業しているクリニックを受診しました。小野先生は開口一番、「遠近両用は疲れるから、診療用と学会で発表する用と2つ用意した方が良いですよ」と言ってくれました。私も常々この点を心配していたので、いまだに眼鏡は2種類用意しています。老眼で無理して書類を読むと眼精疲労などで心身ともにやられます。「井穴刺絡」にくわしい浅見鉄男先生によると、江戸時代の人たちは行灯(あんどん)などの暗がりで目を酷使したため長生きできなかったそうです。そして老眼は進んで当たり前なので、2,3回は換えることを勧めていました。

 そんなヒドイ目ですが、幸いにもその後、悪化することはありません。裸眼でも帝王切開くらいならできます。ただし、眼鏡が2種類あると、2,3日に1回は「眼鏡はどこだ?」と騒ぐハメとなっています。目よりも脳の老化が心配です。