院長ブログ カーブ

Close

第434回 忙酔敬語 昭和30年代の学校給食

 小樽のみよし幼稚園から東京のわかば幼稚園に転園したその日のお昼が食パンでした。イチゴジャムのパンとチョコレートパン。辛党のガキにとってジャムは嫌いなものの筆頭でした。食べ残したら叱られる時代なのでチビチビと次に食べるチョコを見ながら必死に食べました。チョコは好きなので口直しにたどり着いたときはホッとしました。

 小学校時代は1年から6年までパン食。食パンかコッペパンでした。食パンなら4枚、コッペパンはけっこうでかかった。今、ふと気づいたのですが「アンパンマン」に食パンマンが登場するのにコッペパンマンがいないのは不思議です。いずれにしてもその大量のパンは残すことなくほとんど完食しました。まさに炭水化物の時代でした。

 食パンはこんがり焼いてバターを付けるというのが我が家の常識でした。したがって中野区立武蔵台小学校に入学して、おかずとしてカレーシチューやおでんが一緒に出されたときは軽いカルチャーショックを覚えました。しかし以外にイケル! とくにソース焼きそばは当時の小樽では食べる機会がなかったので新鮮でした。それがパンとの相性がバツグン!その後、焼きそばパンなる物が世に出ましたが、さかのぼること四半世紀でした。ワンタンスープも大好きでした。そのワンタンスープがどうしても食べられない瀬間君に対して、日頃やさしい加部先生(女性です)が鬼のような形相で迫りました。瀬間君は泣きじゃくっていました。悲惨な飢えを体験した加部先生には食べ物に手をつけようともしない瀬間君が許せなかったのでしょうが、両者にとって気の毒なことでした。

 父はエリートサラリーマンだったので、今よりも慎ましいとはいえ家で食べるバターは本物でした。それが給食ではマーガリン。みんなは、バターだバターだと言って喜んで口に入れていましたが、当時のマーガリンはショートニングそのもの。黄色い着色料と塩を加えただけで、口に入れても溶けることもなくヌルヌルして実に不快でした。

 5年生の秋に小樽市立入船小学校に転校。パンは基本的に同じですが、おかずにラーメンが登場しました。これもラーメンだラーメンだと言ってみんな喜んでいましたが、すっかり伸びきっていて辟易しました。それでも腹ぺこ少年はパンにスープを浸して完食。

 それから1年もしないうちに釧路市立城山小学校に転校しました。釧路の給食についてはとくに印象に残ったことはありません。ラーメンが出なかったのが救いでした。

 そうそう、給食と言えばあのマズイ脱脂粉乳。なかには何杯でもお代わりする変わり者もいましたが、現在に至るまで評判の良くない共通の思い出となっています。アメリカの進駐軍が本国で余った牛乳を支給した名残でした。いつしか本物の牛乳に変わりましたが、それもほとんどがバターを上前したあとの加工乳でした。

 家でも毎日牛乳配達が来ましたが、水っぽくてまずかったでよく残しては母に叱られました。高校生になってから脂肪分の多い牛乳が出回るようになり、牛乳って本当は旨いんだということを知りました。

 よく、昔の食べ物は本物の味がして良かった、という声が聞こえてきますが、とんでもない物を食わされたことだってあります。合成甘味料しかり、合成着色料しかり。  この非常事態を生きぬくために自分の子供時代の食生活を紹介しましたが、炭水化物が多かった以外はそれほど目新しいことはありませんでした。現在の方がずっと豊かだと強調したかったのですが、単なる懐古趣味に終始したようでした。スイマセン。