映画『ラストエンペラー』でご存じの清王朝は、江戸時代初期に中華を征服し、20世紀初頭まで続きました。歴代の王朝の中でも漢、唐などに匹敵するほど安定していました。特記すべきことは漢民族ではなく異民族支配だったことです。漢はもちろん漢民族の王朝でした。唐の初期は若干異民族の血が混ざっていましたが、ほとんど漢民族で、現在でも唐の太宗(李世民)は歴代の君主の中でもトップクラスの名君と称えられています。清はツングース系の満洲族による王朝のため、多くの中国人にとっては共産党革命後も忌まわしい時代とされています。中国文化界のナンバーワンとして君臨した郭沫若は、明を滅ぼした李自成がもっと頑張れば良かったのに、と歯ぎしりして悔しがったとか。
清の初代はヌルハチ、2代目はホンタイジ。そこまでは中国の東北部のローカルな政権でした。3代目の順治帝のとき摂政の叔父ドルゴンのもとで中華に侵入して、つかの間の皇帝となった李自成を追い払って紫禁城に入り、最盛期の先駆けを築きました。
中華では王朝が変わると前時代の宮殿を焼き払って新たな宮殿を建設します。ですから中国には日本ほど昔の建築物は残っていません。当時の満洲人の人口は日本の10分の1程度の少数民族なのでケチでしみったれ。紫禁城をそのまま大切に使い現在に至っています。たったこれだけの人口で頑迷な漢民族を統治したのは奇跡と言われています。
清の全盛期は康煕帝、雍正帝、乾隆帝の三世の時代でした。順治帝の子の康煕帝はまだ中華に遺残していた漢人の抵抗勢力を一掃してモンゴルまで平定し、清帝国を完成されました。自身、中国の基本的な古典である四書五経の他に西洋の科学を勉強して数学も楽しみました。漢人に対しては順治帝に引き続き弁髪などの満洲の風俗を強要しましたが、治安、経済発展などしっかりとした治政を行ったため、世界史的には中国歴代の皇帝の中で最高の名君と言われています。しかしながら漢人には人気はありません。
異民族支配の中でもモンゴル帝国は圧倒的な武力で中国を中心に東ヨーロッパまで到達しました。しかし、彼らは元来遊牧民族で、征服や略奪しただけで統治するということを知らないため、各地に爪痕を残しただけであっさりと中国から北方へ撤退しました。
乾隆帝の時代に清の領土は中国史上最大となりました。中国の歴史地図を見ると、唐の最盛期の方がはるか西のアラル海にまで及び、一見長期政権の王朝の中では最大に見えますがキッチリとした領土ではありません。そもそも中華思想では中国が天下の中心で、その他は夷狄です。それに対して康煕帝はロシアとルネチンスク条約を結んで満洲の北限を国境に定めました。その後、雍正帝時代にチベットを加え、乾隆帝の時はウィグル一帯も併呑しました。これは現在の中国には負の遺産となっています。ロシア革命後のゴタゴタのなかでモンゴルは独立。一部はモンゴル自治区として残っていますが、いずれチベット自治区やウィグル自治区のように中国共産党政府の重荷となることでしょう。
三世の中で一番評判が悪いのが雍正帝です。厳格な独裁政治をして、「維止」は「雍正」の頭をはねた字だと、それを書いた人間の屍の頸を斬って獄門にかけ、漢人にさらに嫌われました。常軌を逸する働き者で、末端の官僚の報告を自ら丹念に目を通し、朝4時から夜中の12時まで執務室にこもったまま。睡眠は4時間以下で58歳で過労死。唯一の楽しみはルイ14世などのコスプレでした。戦国大名の宇喜多秀家も若い頃、能を舞ってのコスプレでストレス解消しました。両方とも先月のBSプレミアムで知ったことです。