院長ブログ カーブ

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第419回 忙酔敬語 週に15時間しか働かなくていい社会

 ジェイムス・スーズマン著、佐々木和子訳『「本当の豊かさ」はブッシュマンが知っている』(NHK出版)2,600円+税。

 総合大学院大学学長の長谷川眞理子先生が昨年年末の朝日新聞の書評で一押しされた本です。この書評というのはあてにならないことが多く、ある新聞の書評を信じて購読して失敗したことが2回あります。もっとも2冊とも新書で経済的には軽傷、またもし買わなかったらそれはそれで気になるので、まっ、いいか、と思っています。

 書評で大事なのは誰が書いたかということです。長谷川眞理子先生はたたき上げの人類学者です。若い頃、タンザニアでチンパンジーのフィールドワークを2年間しました。著書もたくさんあり、とくに中学生向きに分かりやすく書いた本は私にピッタリでした。進化や性の役割について数学的に分析して、ジェンダーなどについても情に流されるようなことは一切書いていません。ですから長谷川先生のおすすめの本は間違いありません。

 しかしこの本は単行本でけっこうな値段です。また、ブッシュマンの歴史や地理的な状況などかなり詳しく書いているので、「本当の豊かさ」に到達する前に投げ出してしまう恐れもあります。このブログを見て読みたくなった方は、もよりの図書館に問い合わせすることをおすすめします。

 ホモ・サピエンスは20万年前にアフリカで誕生しました。知能や能力は基本的に現代人とほとんど同じはずです。生きる糧は狩猟と採集。これを19万年えんえんと続けていました。しかし、約1万年前に農業革命があり、それによって安定した食料の供給を得ることができるようになりました。その引き換えに人類は重労働をするハメになりました。幸福になるどころか格差が生まれ、かえって多くの人々が不幸になりました。この辺のところは1年前の話題書、ユヴェル・ノア・ハラリ著『サピエンス全史』にも書いています。

 すべての人類が農業革命の影響を受けたわけではありません。ブッシュマンは南アフリカのカリハリ砂漠に住んでいたため近年まで文明の浸食を受けることはありませんでした。そんな砂漠でどうやって暮らしがなり立ってきたのか? バオバブの大木は55トンの保水力があり、大量のモンゴンゴの果実も水分が豊富でナッツは大量のカロリー源となります。毒矢を用いた狩猟も予想以上に動物性タンパク質を得ることができます。あくせく働く必要はなし。週15時間の狩猟採集でノンビリと仲よく暮らしてきたのでした。

 ここでアイヌのことを思い浮かべました。アイヌも近年までほとんど狩猟採集で生きてきました。アフリカとくらべて冬を過ごすのは大変ですが、ご存じのように北海道は食糧資源が豊富です。ブッシュマンと同様にトリカブトの毒矢を使ってクマまでしとめました。しかしながら、せっかく平和に暮らしてきたのに和人が来て何もかも台無しにしてしまいました。ブッシュマンには神という概念があいまいですがアイヌには神話(ユーカラ)があります。小学生のときに図書室で「アイヌ神話」を読みました。英雄が活躍して北欧諸国の神話に負けないほどの迫力で血湧き肉躍ったものです。近ごろアイヌ文化への関心が高まってきましたがほとんど手遅れです。アイヌ語を話す人が少なくなり、アイヌ語の会話がなり立たなくなったからです。言語は文化の根源です。アイヌ文化は博物館レベルでしか受け継がれなくなると思います。人ごとのように読み始めましたが、われわれは取り返しのつかない段階に至っていたのだと気づかされました。