二木珠江著『北の大地で 看護と育児と鍼灸と』(文芸社)。文庫本で税抜き500円。
二木先生は日本良導絡自律神経学会の良導絡専門師です。この学会は鍼灸の穴(ツボ)を電気生理学的に研究する会です。ふつう穴は手先の感覚や経験で判断して治療をしますが、あくまでも主観的です。穴には電気が流れやすいので、ノイロメーターという電流計を用いて穴の状態を測定すると患者さんの客観的な状態を把握することができます。私もこの学会に所属して北海道支部の会長を務めていますが、いちいち測定する時間がなく、だんだん手先の感覚と経験だけに頼るようになり現在に至っています。したがって支部会長のくせに良導絡専門医ではありません。
二木先生は長沼で治療院を開業されていて、学会活動は熱心で(私も熱心です)、いろいろな症例報告を発表されています。その先生がそれまでの波乱万丈の人生を自分史としてまとめたのが冒頭の本です。
1944年の夕張生まれ。お父様は炭鉱関係のお仕事で昔気質で基本的に不機嫌。お母様はその夫にひたすら尽くすという、今から見れば大変ですが当時としては当たり前の家族の長女として育ちました。学問をするという環境ではありませんでしたが、持って生まれたものなのでしょう、勉強熱心でお金のかからない准看コース、それにもあきたらず正看コース、さらには助産師、そして鍼灸師の資格を取り、中国やオーストラリアまで行って、それぞれの国の資格を取り、とうとう良導絡にたどり着いて現在に至っています。
こう書くと順風満帆なのですが、勉強するにあたってお父様の反対にあったり、准看の学校での通学も今みたいに交通の便が良くないので勉強する間もないほど大変で、准看になって働いたら職場でいじめられたり(当時はパワハラという便利な言葉はありません)しましたが、向上心は燃え続け、さらに正看となります。その間、結婚もして、その結婚もすんなりいったわけではなく、結婚早々ご主人の浮気が発覚したにもかかわらず、よほどご主人に惚れたのか(ご主人はイケメンで足が長く二木先生のタイプです)、愛想もつかず、2人の娘さんを出産され、今度は北大の助産科で助産婦の資格を取り、産科のある病院で働きました。その病院では先輩の産婆さんに(助産婦制度が改定される前に資格を取ったまさにお婆さん)、生まれた赤ちゃんに異常が生じたときに責任をなすりつけられるという理不尽な目にあいました。その後、一時、丸山淳士先生のいる五輪橋病院にも勤務しています。イヤな目にあっていなければこのように実名が登場します。ある時期から現代医学に限界を感じ、2人の娘さんがいるのに山の手の北海道鍼灸専門学校の夜間部に入学しました。日中は病院勤務をしているので遅刻することもしばしば。当時の校長は厳格な人で入り口に立って遅刻する学生を叱りつけました。鍼灸師になってから良導絡に出会いました。良導絡のレジェンド中根敏得先生がお年を召してもきれいでオシャレにしていると、登場人物の中では最高の評価をされています。二木先生自身もオシャレです。
子育てに関してはくわしいことは書いていませんが、娘さんは2人ともナースとして働いています。お母さんの背中を見て育ったのでしょう。お父様やご主人の最期にも献身的に尽くしています。ご自身はもともと心臓が悪く、さらに乳がんも煩いました。このエネルギーはどこから来るんでしょう。2人のお孫さんもイケメンで空手を習っています。 忘年会で中根先生は「まさにハッピーエンドですね」と微笑んでおられました。